ちいさな願い・2
近所に住む男の子達と、泥まみれになりながらも赤々と実ったトマトの収穫を手伝ったり、
羊が草を食むのどかな草原でごろりと寝そべり、青空を緩やかに流れる雲を目で追いかけたり。
家に帰ってくるルミナスを「またこんなに泥だらけになって・・・」という第一声で迎える母。
もう少し女の子らしくしないと・・・という小言を呟きつつも、その瞳は愛情に満ちあふれていた。
乾いた土が張り付いた頬をかしかしと掻いて、ルミナスは笑ってみせる。
入念に鍬の手入れをしていた父は顔を上げ、母と娘のやりとりを目を細めて見つめていた。
あの頃は、こんな日々がいつまでも続くと信じて疑わなかった。
・・・・・・・・・・・もう、二度と戻ることは無い、幸せな日々。
憂いを帯びた表情やほろ苦い笑顔はこれまで何度となく見てきたが、涙は決して見せなかった
ルミナスが、目の前で泣いている。
(こ・・・こんな時は・・・・なんて声をかければ良いんだ・・・・?)
突然のことに、レオはただおろおろとするばかりだ。
こんな時に、自分は何の役にも立てない。
彼女を励ます言葉をかけるどころか、その手を取ることさえ出来ない。
不甲斐ない自分に、段々怒りがこみ上げてくる。
ルミナスの過去については、レオやセレナは疎か、ゴリガンですら知らない。
一度セレナがルミナスの故郷を尋ねた事があったが、ルミナスは言葉を濁して
結局は語ろうとしなかった。
それ以来、誰もルミナスの過去に触れようとはしなかった。いや、出来なかった。
その時のルミナスの表情があまりにも険しく、深い陰を湛えていたからだ。
しかし、これをきっかけに、セレナもレオもルミナスの力になろうという思いが一層強くなった。
いつかは、自分達を本当の仲間と認めてくれる日が来ることを心の奥で願いながら。
「・・・帰りましょうか・・・?」
はっと我に返ると、そこには、少し困ったような笑顔。
ルミナスの瞳には、既に涙は無い。
「すっかり、暗くなっちゃったね。」
「ル、ルミナス・・・!」
くるりと背を向けて歩を進めようとするルミナスの腕を、咄嗟に掴んだ。
「・・・どうしたの?」
無意識にとった行動に、慌てて手を離す。
ルミナスの腕に触れた手が熱を帯びている。
「あ・・・・え、えと、そ、その・・・。」
勇気を振り絞って言葉を紡ごうとするレオだったが、上手くいかない。
・・・これでは、俺は不審者そのものじゃないか・・・・。
思考がまとまらず、混乱するばかりのレオを、ルミナスは首を傾げて見つめるばかりだ。
2人の間を、一陣の風が吹き抜けた。
レオにとっては、情け容赦無く冷たい風のように感じられたが・・・。
風が運ぶ草木の香りや町の匂いに、異質の匂いが混ざっていると気付いたのは、
二人ほぼ同時だった。
それぞれの考えに浸っていた二人は、町の異様な喧噪にも今の今まで気がつかなかった。
「・・・何だろう・・・?何かトラブルでもあったのかしら・・・?」
「・・・焦げ臭いような、変な匂いもするな。」
「まさか・・・・・火事!?」
「行ってみよう!!」
紙袋からパンや薬が転げ落ちないよう気を配りながら、二人は喧噪へ向かって走り出した。
「・・・・・・何てこと・・・!!」
ルミナスとレオは目指す場所へたどり着く前に、何が起こっているのかが嫌でも理解できた。
燃え上がる民家。
怯え逃げまどう人々と、一体何事かと集う野次馬。
夜の風に煽られて、火の勢いは増すばかりだ。
通りがかりの男性や近所の人々が懸命に水をまいて消火活動を行っているが、
燃えさかる炎を食い止めることは出来ない。
「・・・・・エステルが、私のエステルが・・・・!!」
野次馬をかき分けるように、涙で頬をくしゃくしゃに濡らした女性が飛び出してきた。
「無茶だ!この炎の中では・・・・もう・・・!」
消火活動を手伝っていた男が女性の腕を掴み、必死になって止めようとするが、
女性はそれを振り払おうと暴れる。
「離してっ!!お願いです!!私のエステルを・・・助けて・・・・!!」
悲痛な叫びは、しかし誰の心をも動かすことはできなかった。
皆が皆、(もう無理だ・・・)と諦めてしまっているらしい。
「あの中に、誰か残っているんですね・・・?」
レオが突然、女性の背後からそっと話しかけた。
「あぁ・・・エステルが・・・私の子を助けて・・・!!!」
絶望と悲しみに暮れる女性が、レオの腕に縋りついた。
「・・・・・わかりました。やってみます。」
レオは縋る女性の腕をそっと離し、民家に向き直った。
「あんた、この中に飛び込むつもりか!?無茶だ!」
「死にに行くようなものだ!!やめときな!」
周囲の引き留めにも動じないレオは、ブックからカード数枚を取り出した。
「レ・・・レオ?一体何を・・・・・・。」
レオの一歩後ろで呆然と惨状を見つめるだけだったルミナスが、カードに手を伸ばしたレオを
驚愕の眼差しで見つめる。
その声音には、恐れと非難が混ざっているように、レオには聞こえたが。
「見ての通りだ。クリーチャーを使って、子供を助ける。」
さっとカードに目を走らせたレオが、一枚のカードを抜き取って翳した。
一条の光がカードから発せられ、深海の恐竜と思しきクリーチャーが姿を現した。
「バンニップ、火を消すんだ!」
レオの声に呼応するように、バンニップは甲高い声を発し、口から勢い良く冷たい水を吐き出した。
「セ、セプターか・・・あんな少年が・・・!?」
「・・・だっ、だが、セプターならばもしや・・・・・。」
周囲が俄にざわついた。
無理もないことである。
セプター同士の戦い以外でカードを繰り出す者は、そのほとんどが盗賊同然の連中だった。
実際このラムハルトも、幾度となく盗賊セプターに町を荒らされたことがあったらしく、人々が恐怖の色を浮かべるのも
当然といえる。
「レオ・・・!何て事を・・・!!」
村人だけではない。
ルミナスの瞳にもあからさまに非難の色が宿っていた。
「助けるんだ!子供を・・・。」
「そんな!こんな所でカードを使うなんて何を考えているの?!」
「ここで俺が炎の中に飛び込んでいっても、無駄死にするだけだ。しかし、水のクリーチャーなら、
炎には負けない。子供を助けることが出来るはずだ!」
レオの手の中に残されたクリーチャーは、グレムリンやワイバーンといった風属性の
クリーチャーだった。
焦り故か、レオは軽く舌打ちし、次のカードを引いた。
その手には、厳つい海の男S・ジャイアントのカード。
ためらうことなく、レオはS・ジャイアントを召還し、炎の中へ向かわせた。
「レオ!!お願いだから・・・止めて・・・!!」
レオの腕を掴むルミナスの表情は、非難から恐怖に変わっていた。
声も微かに震えている。
子供を助けることに夢中になったレオが、尋常ではないルミナスの様子にようやく気がついた。
恐怖と、深く澱んでいるような、悲しみの色。
ここまで取り乱したルミナスは初めてだ。
無関係な場所でカードを使うことをルミナスが極度に恐れているらしいことを、レオは理解した。
「ルミナス・・・落ち着いてくれ。
このまま、子供を見殺しには出来ないだろう?」
「でも・・・でもっ!!」
「頼む・・・ルミナスも力を貸してくれ!」
「い・・・嫌・・・出来な・・いっ・・・・・・・私・・・には・・・っ!!」
「・・・・・ルミナス・・・。」
レオの視線を避けるように俯いてしまうルミナスに、一瞬、レオは言葉を失ったが。
「ここで、なにもしないで後悔するより・・・・・今自分に出来ることをやった方が良い。
例えそれで、他人に非難されようと、構うものか。」
「そっ、・・・そんな・・・・・!」
「この力で人の命が救えるのなら、・・・たとえ異端と誹られようと・・・、
・・・俺は、この力で子供を助けることを選ぶ。」
レオは、そっとルミナスの肩に触れ、諭すように言葉を紡いだ。
普段の、自分の感情を上手く伝えられないレオとは、別人のようだ。
「俺は・・・君に、もしかしたら残酷なことを要求しているのかもしれない。
だが、何の力も持たない子供を救えるのは、きっと俺達だけだ。
子供の命を助けよう、・・・二人で!」
祈りにも似た、レオの言葉。ルミナスの肩を掴む手に力を込める。
恐怖のあまりがたがたと震えていたルミナスが、はっと顔を上げる。
「・・・助ける・・・・・・?」
「そうだ。必ず、助け出すんだ。」
呆然と、レオの瞳を見つめる。
その時、ふとルミナスの心に、忘れかけていた言葉が蘇ってきた。
「確かに、セプターってだけで毛嫌いする人々が多いのは確かだ。
でも、その力の使い方さえ間違えなければ、人々を守る剣や、盾にだってなる。
だからさ・・・もう少しだけ、頑張ってみたらどうだい?」
「やったー!!ルミナスさん、頑張りましょうね!!」
・・・そうだ。あの時、約束したんだ・・・あの二人に。
・・・もう少し、頑張ってみる・・・・・って。
ぎり、と唇を噛んで、何とか震えを収めようとする。
鉄の味が、口の中に広がった。
腰の革袋からブックを取り出そうとするが、指先が震えて上手く取り出せない。
その手に、そっとレオの手が重なる。
「ありがとう・・・ルミナス。」
「・・・・・・うん。」
ようやくブックを手にし、深呼吸一つ。
それは、同盟戦用に作り上げたものだ。
ルミナスが普段使用していない属性で編成されている。
思い切ってブックから四枚カードを取り出し、その中の一枚を頭上に掲げる。
光の中から姿を現したは、水色の物体。
形が定まらず、うにょうにょと柔らかいその姿に、人々は言葉を失った。
「子供が一人・・・。頼むわね。」
水色の物体・・・G・アメーバをそっと撫で、ルミナスが低く呟いた。
ルミナスの言葉を理解したのか、G・アメーバはその場でジャンプしてから、
するすると炎の中へ飛び込んでいった。
ルミナスは手札にさっと目を通し、すかさず二枚目のカードを抜き取った。
「イエティ、バンニップを手伝ってあげて。」
ルミナスの声とともに雪男イエティが姿を現し、口から氷のブレスを吐き出し始めた。
バンニップとイエティを筆頭に、突如現れたセプターに動揺していた人々が消火活動を再開した。
少しずつだが、確実に炎が弱まってきた。
「頑張れっ!!」
「あと一息だ!!」
炎に向かって懸命に水をまきながら、男達が口々に励まし合う。
女性の必死の祈りが届いたのか、S・ジャイアントに続いてG・アメーバが炎の中から姿を現した。
その透明な身体は、小さな子供を包み込んでいる。
「あぁ・・・エステル、・・・エステル・・・!!」
女性は、子供に向かって駆け出し、G・アメーバごと包み込むように、子供を抱きしめた。
「マ・・マ・・・?ママー!!」
母親の姿に安堵したのか、子供がぽろぽろと涙をこぼし始めた。
G・アメーバは音も無くするりと子供から離れていく。
「・・・ご苦労様。」
ルミナスがG・アメーバとイエティに声をかけ、二体のクリーチャーをカードに戻した。
「・・・レオ、帰りましょう。」
「あ・・・ああ、そうだな。」
レオもバンニップとS・ジャイアントをカードに戻したその時。
「あ・・・あの!!」
子供を抱きしめたまま、母親がルミナス達を呼び止めた。
ほんの一瞬、ルミナスが表情を歪めたのを、レオは見逃さなかった。
ゆっくり振り返ったルミナスに向かって、女性が頭を下げた。
「ありがとう・・・ございます!私の子を助けてくださって・・・!!」
「・・・・・・・・え?」
女性の言葉を全く予想していなかったのか、明らかにルミナスは戸惑っている。
「あなたは・・・うちの子を救ってくれた恩人です・・・。
本当に・・・何とお礼を申し上げて良いか・・・っ・・。」
「そうだそうだ、良くやったよ、あんた達は!」
「俺達だけでは、この子供は助けられなかった。ありがとうよ、お二人さん!」
「あんた等みたいなセプターもいるんだな。見直したよ!」
消火に奔走した男達まで、二人に感謝と賞賛の言葉を投げかける。
「い、いえ・・・あの・・・。助かって・・・良かった・・・です。」
しどろもどろに答えるルミナスが皆に一礼し、逃げるように走り去った。
レオも彼らに向かって一礼し、ルミナスの後を追いかけた。
「すっかり、遅くなってしまったな。」
「・・・そうね・・・。」
既に日が暮れて、相当の時間が過ぎていることだろう。
ゴリガンやセレナはきっと、待ちくたびれて眠ってしまっているかもしれない。
正直に事の成り行きを話すか、適当なことを言って誤魔化すか・・・。
さて、どうしたものか・・・とレオが思案に暮れていると、不意にルミナスがその歩みを止めた。
「ルミナス?・・・どうしたんだ?」
伏せ目がちなルミナスの表情は、街の灯りで悲しそうにも苦しそうにも見える。
自分は、やはり彼女に辛い思いをさせたのか・・・?
胸に突き刺さるような痛みを感じながら、そっとルミナスの顔を覗き込む。
「私・・・・・私は、今まで・・・・・。」
絞り出すようなルミナスの声は、夜の風に流れて消えてしまいそうなくらいだ。
「今まで・・・・・こんな力・・・要らないって、思っていた・・・。
でも・・・でも、あんな・・・こと、言われる・・・なん・・て・・っ・・・・。」
最後の方は、もう言葉にならなかった。
紙袋を抱きしめる腕に力が入る。
くしゃり・・・と音を立てた紙袋から、薬草がぽとりと転げ落ちた。
「・・・・・っ、ありが、とう・・・なんて・・・っ・・!!!」
きつく閉ざされたルミナスの瞳から、堰を切ったように光の粒が零れだした。
レオはただ無言で、そっとルミナスの深緋の髪を撫でた。
小さな子供を、宥めるように。
続く。