the dawn <前編>





既に漁が終わっているため、港は人気が少なく静まりかえっている。
岸壁にぶつかる波の音と海鳥の鳴き声が、ただ耳に入るだけ。
全ての漁船は岸壁に接岸されており、穏やかな波にゆらゆらと揺られている。



青年が一人、岸壁に腰を下ろしている。

降り注ぐ日差しを受けて輝く白金の髪は軽く束ねられ、左肩から緩やかに流れている。
痩せ気味の体格のため、視力の悪い者が見たら女性と間違われかねない。

青年…ネイティオは、水平線の彼方に視線を送り、目を細めた。
「今日も良い天気だね。」
呑気そうに、そんなことを呟いている。


ポケットから一枚のカードを取り出し、そっと眼前に翳す。
カードが淡い光を放ち、その中から愛らしいフクロネズミが姿を現した。
「時間になったら、教えてくれよ。」
優しく頭を撫でると、フクロネズミは嬉しそうな声で鳴いた。
まるで、『任せておいて』と言いたげに胸を張って。
袋の中の子ネズミはネイティオの言葉に応えるように、ぱたぱたと手を振りだした。
その様子に頷いて、ネイティオは膝に載っている包みを解いた。


「…これは。エメリーさん、奮発しすぎだよ…。」


ふかふかな白パンに、やや厚めにスライスした生ハムが挟まっている。
同じくスライスされた真っ赤なトマトと色鮮やかな香草が食欲をそそる。
「バイト代、もう少し差し引いてもらわなくちゃなぁ…。」
肩を竦め、ほろ苦い笑みを浮かべる。


左手に贅沢な昼食。右手には手のひらサイズの本。
ネイティオにとって、まさに至福のひとときと言えよう。



自分の力で金を稼ぐことを覚えたのは、もう10年以上も前になろうか。



ネイティオの父は、彼がまだ幼い時に、海で命を落とした。
町でも名の知れた漁師だったが、沖合で巨大鮫に船を攻撃され、
仲間もろとも海へ沈み、二度と帰ってこなかった。
ネイティオの母は、身体の線が細く病気がちな女性だったが、
終生の伴侶を失って、その細腕で残された幼い子を育てるために、身を削って働いた。

幼いネイティオは、母親が苦労をしているとわかっていながら、
何の力にもなれない己を恨めしく思った。

母方の家系に古くから伝わる宝物とされていたカルドセプトに触れ、
ネイティオがセプターとしての能力に目覚めたのは、物心つかぬ頃だった。
最初は、父も母もいない寂しい家に1人ぽつんと残されたネイティオ少年の遊び相手であり、
大人のいない家を守るガードマン役でもあったクリーチャー達は、
後に家計を助ける働き手となった。


ネイティオ6歳。
図体は大きいが機敏な動きを見せるS・ジャイアントを漁の手伝いに、
その表情は一見きつそうだが大人しくしていれば目を見張る程に美しいリリスを花屋の手伝いに。
そして、幼い自分は近所の雑貨屋で荷物運びの仕事を手伝った。

自分が働けば、身体の弱い母親はもっと楽ができる。
ようやくその事に気付いたネイティオ少年は、他の者には無いこの不思議な力で、懸命に働いた。

自分と母親が生きていくために。

自分が稼いだお金はほとんど母親に渡していたが、ほんの少しずつ、
ネイティオは自分のお金を蓄えた。
好きな本を、買うためである。
読書は唯一の楽しみであり、日々汗水流して働く自分へのささやかなご褒美でもあった。
幼いながら読み書きには非凡な才があった少年に、近所の大人達が
絵本に始まり風土記や歴史書など様々な本を贈って寄越すものだから、
ネイティオにとって本は掛け替えのない物となった。
いつの間にか、『本に埋もれて死ねるなら本望』とまで思うようになっていった。


ネイティオ10歳。
流行病に冒された母親は、そのまま短い生涯を閉じた。
ネイティオはただ、悲しかった。
肉親を失って独りぼっちになったことが悲しいのではない。
生まれつき病弱ながらもやっと生涯を共にできる伴侶に巡り会えたと思ったら、
僅か数年後にその伴侶を失い、ただ自分と幼い子供が生きていくために働き通し、
病に倒れてしまった母親。
彼女は、自分の人生が幸せだったと言えるのだろうか?
本当は、もっと穏やかな人生を送ることができたのではないか?

…つくづく、可愛げの無い子供だと思う。
しかし、幼い頃から親の苦労を側で見てきて、またたくさんの本を読んだことで
大人顔負けの知識と感性を身につけてしまった少年が思うことは、
自分のことではなく可哀想な母親のことばかりだった。



「ネイティオ、そろそろ休んでおいで。」
雑貨屋の女主人エメリーが愛嬌のある笑顔で、店の奥から声をかけてきた。
店先で陳列品を補充していたネイティオが、顔を上げる。
「あ、はい。もうそんな時間か…。」
「ほら、今日のお昼だよ。」
エメリーは手に持っていた包みをネイティオに差し出した。
「いつもすみません。」
「何言ってんだい。これもちゃんとあんたの働き賃に含まれているんだからね。
何も遠慮することはないんだよ。」
からからと陽気に笑う。
ネイティオもまた笑みを返した。
「ありがとうございます。じゃあ休ませてもらいます。」
丁寧にお辞儀をし、ネイティオが店を後にした。

「…やれやれ。あのネイティオ坊やも、すっかり大きくなっちゃって。」
我が子を愛おしむような響きが、エメリーの声に滲み出ていた。
母親を助けるために店の手伝いをしたい、と店に頭を下げに来たのが、確か6才の頃。
あれから10年以上この店を手伝ってくれて、今では港町チェスターでは有名な看板青年だ。
「もうそろそろ、気だての良い娘でも見つけてきてあげようかしらね。」
太陽の光を浴びてキラキラと輝く海面に視線を移し、エメリーは一人満足そうに頷いた。




贅沢なサンドイッチを頬張り、ゆっくりと味わう。
その間、ずっと本から目を離さない。
右手で器用にページをめくり、左手はご馳走を口に運ぶ。
決して行儀が良いとは言えないが、今のネイティオには僅かな時間も惜しい。
一人でいると、食事よりも読書を優先しがちなネイティオであったが、
昼はこうして雑貨屋の女主人が用意してくれたご馳走にありつけるのだから、
心からエメリーに感謝をしている。してもし足りないくらいだ。
幼かった自分を働かせてくれたことも、まるで自分の子供のように時には厳しく、
そして優しく接してくれたことも。


「いつか、エメリーさんにお礼をしなくちゃね。」

本から僅かに視線を外し、水平線に目を向ける。
空の青と海の青が融合する、その場所を。


再び、右手の本に視線を移し、左手の食事を楽しむ。



穏やかな日常が、何時までも続くと思っていた。

……この時までは。





「はぁ…はぁ…こんな港町まで迷い込んでしまったとは…。
こんな町に、果たして世界を救ってくれる程のセプターな、ど……!?」




続く…


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