the dawn <後編>





時の神カルドラの手により粉々に砕かれ、カード状の石版に姿を変えたと言い伝えられている、
書物カルドセプト。

全てを集めれば、カルドセプトの恩恵によって大いなる力を得る事ができる…。

カルドセプトを巡る戦いは、遙か昔からバブラシュカ大陸の至る所で繰り広げられてきた。
かつては豊かな緑に彩られた大陸のあちこちは、戦いによって無惨に抉られ、荒廃していった。


チェスター。
バブラシュカ大陸の遙か西にある、のどかで小さな港町。
幸い、この町はカード駆使者・セプターの争いに巻き込まれていないので、
そこに生きる数少ない人々は穏やかな日々を過ごしている。



チェスターの町外れに、一人の人間…ならぬ、一本の杖がよろよろと姿を現した。
杖…といっても、もちろん只の杖ではない。
意志を持ち勝手に動き回る杖など、普通では有り得ないのだから。
しかも、ちょうど持ち手になる部分に、老人の顔のような細工が施されて…いるのではなく、
その目も鼻も口も人間さながらに動くのだから。

魔術に精通している者であれば、一目見てそれが特殊な技術によって作られたアイテム
『アーティファクト』であると気付くのであろうが。


「はぁ…はぁ…こんな港町まで迷い込んでしまったとは…。」
杖…ゴリガンは力無く項垂れた。
長旅の疲れで、もう身体が思うように動かない。
へなへなと道端に蹲ってしまった。

混乱を極めたこの世界を救う力を持つセプターを探す旅に出て、
もうどれくらい時間が経っただろう。
これまで出会ってきたセプターといえば、皆己の欲に駆られてカードを駆使する者ばかり。
誰一人、この世界を憂い自分の手で救おうと立ち上がってはくれなかった。
「はぁ…。このままでは、世界は破滅してしまう…。」
しおしおと背を丸め、溜め息を零す。
このままでは、我が造物主殿に顔向けができない。
きっと今この時だって、傷つき荒れてゆく世界に心を痛めているであろう。
その悲しそうな顔が……。


…どうしても思い出せない。


己の不安を打ち消すように、ゆるゆると首を振る。
今はそんな事よりも、救世主となるセプターを探さなくては。
「しかし、ここに果たして世界を救ってくれる程のセプターな、ど……!?」

ガバッとゴリガンは顔を上げた。
「この感じは…、正しくセプター! しかも、かなりの実力の持ち主…!!」

それまでは疲労のため俯きがちだった顔をガバッと上げ、
旅の疲れを感じさせないような機敏な動きでゴリガンはセプターを探し始めた。



海鳥が遙か頭上を旋回し、甲高い声で鳴いている。
吹く風は心地良く、潮の香りを優しく運ぶ。

雑貨屋の女主人エメリーが用意してくれたサンドイッチを胃袋に収めると、
いよいよネイティオは本に没頭し始めた。
彼のすぐ側には、小さなフクロネズミの親子が太陽を背に佇んでいる。
ネイティオの読書の邪魔をしないよう音もたてず声も出さず、ただじっと隣に控えている。


「おおっ、こんなところにバンディクート!!
……ということは…!!」

期待に瞳を輝かせたゴリガンが、全身で喜びを表すようにぴょんぴょんと飛び跳ねる。

バンディクート。
カルドセプトの一片である、クリーチャーの中の一体。
火を司る神・ビステアの眷属で、その力は炎の支配下で遺憾無く発揮される。
……間違いない。この青年はセプターだ!
破顔したゴリガンが、うきうきとネイティオの側へ近寄る。

「もし…。貴人をセプターと見込んでお願い申しますぞ。
どうか私に力をお貸し下さい!」

……。
顔を上げもしない。
聞こえなかったのだろうか?

「…あの、もし…。貴方はセプターなのでしょう?
どうか、この世界をお救い下さい!!」

……。

腹(に当たる部分)に力を入れ、先程より声を張り上げてみるが、相手は全くゴリガンを見ようともしない。

「お願いです! このままでは、本当に世界が破滅してしまいます!
貴方の力が必要な……!?」

ブン!

ダンッ!!!

振り上げられた拳はゴリガンの鼻先を掠め、地面に振り下ろされた。
「…あ…あ、あわわ……。」

突然のことに、ゴリガンは言葉が出ない。
全身ガクガク震えている。

「貴方が誰かは知らないけれど…。」
やや抑えられた声は、だが刺々しくゴリガンの耳に響いた。
こちらに向けられた顔は…微笑んでいる。
……しかし、目が笑っていない…。

「読書の邪魔をしたら……、折るよ。」

鋭く光る刃を突きつけられたような恐怖が、ゴリガンを襲う。
全身が竦んで、身動きができない。

目の前の青年は再び本へ視線を落としたが、
側で大人しくしていたバンディクートが、自分の影の位置に気付き、
慌ててネイティオの上着の裾を引っ張った。
「…え? そうか、もう時間か…。」
本をしまい、腰を上げる。
ゴリガンへ向けた視線とはうって変わって、慈しむような愛情に溢れた表情でバンディクートの頭を優しく撫でる。
幸せそうに一声鳴いて、バンディクートは一枚のカードへと姿を変えた。
(……はぁ。私への態度とは大違いだ…。)
しおしおと髭を垂らすゴリガンは、一抹の不安を感じた。
もしかすると、この青年も違うのか? …と。
「あ、あのう…。」
くるりと背を向けたネイティオに、恐る恐るゴリガンが声をかける。
「僕はこれから仕事があるから。」
「…そ、そんな…。」
後を追おうとして、ゴリガンはしかし歩みを止めた。
「…だが、あの青年はこれまで会った誰よりも強力な魔力を感じる。
ここで、諦める訳にはいかぬのだ…!」
己に言い聞かせるように呟いて、ゴリガンはゆっくり顔を上げた。
そして、ネイティオに悟られぬよう後を追いかけた。




「…何か用?」

オレンジから藍色へ。
美しいグラデーションが空を飾る時間帯。
雑貨屋を後にしたネイティオの前に立ちはだかる一本の杖。
どうやら、ずっと雑貨屋の近くで待っていたらしい…。
「どうか、私の話を聞いてくだされ。
今、世界は危機にさらされているのですぞ!?」
「……唐突な話だね。」
話半分と受け取ったのか、僅かに肩を竦める。
歩み去るネイティオと、置いて行かれないよう必死に食い下がるゴリガン。
「世界は今無益な争いで満ちております!
そしてそれを救えるのは、貴方しかおりませぬ!」
ゴリガンが饒舌になればなる程、ネイティオの表情は冷める一方。
もっとも、突然『世界が危機』だとか『世界を救ってくれ』とか言われても、
何の実感も湧いてこない。
それだけ、このチェスターは争いとは無縁の町なのだ。
徐々にネイティオの歩みが早くなる。
「貴方のような優れたセプターが、世界中の邪悪なセプターを倒してくれたら、
この世界は救われるのです!」
いよいよ、ネイティオの足についていけなくなったゴリガンが、声を張り上げたその時。

「ふぅん、そいつもセプターなのか? これはラッキーだぜ。」

「な…何奴!」
人の往来がほとんど無い道。
ぽつんぽつんとしか民家が見あたらないこんな場所で、突然背後から聞こえてきた声に
ゴリガンが飛び上がった。
道端の大木から姿を見せたのは、髪を短く刈り上げた長身の男。
にやにやと嫌な笑みを張り付かせている。
「俺様はアレックス! いずれこの世界を制するセプター様だ!
なあ姉ちゃん、あんたのカードは俺が全部もらってあげるから、
大人しくカードを置いておうちへ帰んな。」
一気にまくし立てる。
余程己の腕に自信があるのか、あるいはただの自信過剰男なのか…。
しかも、ネイティオを女性と思いこんでいるらしい。
「はぁ? ね、姉ちゃんとは…?」
ゴリガンが目を白黒させていると、頭上から溜め息が聞こえてきた。
「…やれやれ。君は髪の長さだけで男か女か見分けているのかい?」
「へっ…はあっ!? ってことは……!??」
「全く、失礼な男だね、君は。」
素っ頓狂な声をあげるアレックスを一瞥し、ネイティオが立ち去りかけるが。
「ま、ま…待ちやがれ! 男と知ったら俺様は容赦しないぜ!
貴様を叩き潰してカードを奪う!」
アレックスはカードを抜き、振りかぶってネイティオ目掛け放り投げる。
カードは瞬時に鋭い光の矢へと姿を変えた。
「あ、危ない!!」
ゴリガンの声とほぼ同時。
ネイティオは無駄のない動きでカードを肩越しに投げつける。
アレックスと同じ、光の矢を。
双方のマジックボルトは激しくぶつかり合い、粉々に砕け散った。
「お、おのれぇ…!」
わなわなと肩を震わせるアレックス。
己のプライドを傷つけられたからか、その表情は怒りで満ちている。
一方、ゆるりと振り返ったネイティオの表情は、氷のように冷たい。
先程の恐怖が蘇ってきたのか、ゴリガンがガクガクと震えだした。
「これが、以前本で読んだ『セプター同士の戦い』というものなのかな?」
急に話を振られたゴリガンは、かくかくとただ頷くばかり。
「戦いなんて、ロクなものじゃないんだけどな。」
…でも、仕掛けられて大人しくしていられる程、僕は馬鹿じゃない。
そんな声が聞こえ、ゴリガンがさっと表情を引き締めた。
溢れんばかりの期待と、ほんのわずかの不安を胸に秘めて。


ネイティオが召還した鈍色の小妖精・リトルグレイに、アレックスのクリーチャーはことごとく誘拐された。
サイクロプスもフードラムもヘルハウンドも。
それならばと召還した先制攻撃能力を持つドラゴンフライは、バンディクートの反撃に遭い、
呆気なく消滅してしまった。
「そ、そんなバカなぁ…っ!!」
がっくりと膝をつくアレックス。
青ざめた顔は、ただ虚しく地面を見つめるばかり。
ここまでの敗北は彼自身初めてだったのか、もはや立ち上がる気力さえ失われたようだ。
「もう、こんな盗賊まがいなことは止めた方が良いよ?」
相手を顧みず、ネイティオはその場を後にした。

(間違いない…あの青年の力は、この世界を救える…!!)

ネイティオとアレックスの戦いを見届けたゴリガンは、満足そうに頷いた。



「だから、僕はそんなつもりはないよ。
大体世界を救うなんて、そんな大それた事は無理だよ。」
「そんなことはありませんぞ!
ネイティオ殿の力は正しきもの。このゴリガン、先日の戦いで確信いたしましたぞ!」

結局ネイティオの家に転がり込んだゴリガン。
毎日毎日説得を試みるが、ネイティオの心を動かすに至らず。

「私は諦めませんぞ! ネイティオ殿が世界を救ってくれると言うまでは!!」
「……参ったなぁ…。」
とりあえずゴリガンを客人として扱ってはいるが、いい加減『世界を救ってくれ』攻撃にうんざりしていた。
淹れたての緑茶を啜り、テーブルに置かれた本に手を伸ばす。
(そういえば、初めてネイティオ殿と会った時、読書の邪魔をされたとえらく機嫌を損ねられた。
よくよく見ると、ネイティオ殿はヒマさえあれば本を手にしている…。
……ならば。)
嫌な汗が頬を伝うが、気持ちを落ち着かせるためにゆっくりと息を吐き出す。

そして、努めて平静を装って呟いた。


「世界が滅びてしまっては、本を読むこともできないのですぞ…?」


ぴくり、とネイティオの動きが止まる。
しばらくそのまま微動だにしなかったが、ようやく口から出てきた言葉は。

「それは…ちょっと困るな。」


(…勝った!!!)

心の中でゴリガンが絶叫する。
これまでの長い長い旅は、決して無駄ではなかった…。
その目に、うっすらと涙が光った。



「はいよエメリーさん、これ今回の仕入れ分。」
チェスター近郊を往来する商人が、薬や香辛料が詰まっている籠を抱えて雑貨屋に姿を現す。
「はい、どうもね。」
「お? 今日はネイティオのやつは休みかい?」
店内を見渡すと、いつも店番をしている白金の髪の青年の姿が見えない。
目の前の女主人にも、いつもの活気が見られない。
「…あの子は、旅に出ちまったよ。」
「えっ、そうなのか?」
ほんの少し寂しそうに、エメリーは肩を覆うストールの端を握りしめる。
素人目にも、一目でそれが上質の品だとわかる。
「まったく、こんな気を遣わなくても良いのに…。」
寂しさの中に、エメリーの深い愛情が滲み出る。
「あんた、あの子を自分の子供のように可愛がっていたからなぁ。」
「ああ、そうだよ。…でも、子供はいつか巣立つもの。ネイティオにもその時が来たって事だよ。
あたしはただ、あの子の無事を祈るだけさ。」
視線を上げると、太陽の光を浴びて輝く海面が見える。
そのままじっとしていたエメリーだったが、ふっと表情を和らげ、ばしばしと商人の肩を叩いた。
「さあさあ、これから忙しくなるよ。
次は麻袋と砂糖を仕入れてきておくれ。」
いつもの明るさが蘇ったエメリーに、商人も安心して頷き返した。



町外れの小さな墓地。
父と、そして母の眠る墓に花を添え、ネイティオは祈りを捧げる。
その背後でゴリガンは黙祷している。

(父さん、…母さん。しばらくここを離れるけど、許してほしい。)

優しい風は、微かに海の匂いを運ぶ。
日差しは穏やかだが、しばらく外にいると微かに汗ばむ程の暑さはある。



「待たせたね、ゴリガン。」
ようやく顔を上げたネイティオが、側に佇むアーティファクトに声をかける。
「いえ、そんなことはございませんぞ。
では、世界を救う旅を始めるとしましょうか。」
「んー…そういう大きな事をするっていう実感はないんだけどね。
でも、旅先でどんな本に巡り会えるか、楽しみだなぁ。」
「ネイティオ殿〜…。」

これから危険で長い旅が始まるというのに、頭の中は相変わらず本のことでいっぱいのネイティオを、
情け無さそうに見上げるゴリガン。


二人を待ち受けるものは、果たして…?




END


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