月光に霞む・1
雲一つ無い夜空には、煌々と輝く月が浮かんでいる。
星の瞬きは月明かりに紛れ、どんなに目を凝らそうともその姿を見ることはできない。
人里から離れた、物寂しい荒れ地。
時折吹く風に煽られて、草木がさわさわと微かな音をたてている。
菫色の外套を纏ったフィーを、紅蓮の炎を吐き出す恐竜、闇色のローブを身に纏った魔術師、
そして、やや赤黒い肌を持つ筋骨たくましい巨人が取り囲んでいる。
髪やローブが風に揺られても彼らは微動だにせず、ただ、じっと立ち尽くしている。
強い風が、彼らの間をすり抜けていった後に。
ゆっくりと、大きく深呼吸し、静かに目を閉じる。
そうして、フィーは一枚のカードを頭上に掲げた。
カードが淡い光を放ち始める。
光は次第に輝きを増していったが、それ以外の変化は何も起こらない。
「……くっ…」
指先に意識を集中させ、己の魔力を一枚の石版に注ぎ込む。
ようやく、光の中心から燃え盛る炎の如き真っ赤な塊がのっそりと姿を現し始めたが。
ぞわり。
「……っ!?」
己の魔力が根刮ぎ吸い取られるような感覚に、フィーは顔を顰めた。
大きな流れを食い止めようと、力の限り大地を踏みしめる。
そして、乱れた意識を戻すために指先に力を込めた瞬間――。
バチィッ!! ――カードから鋭い火花が飛び散った。
「わっ!!」
反射的にフィーはカードから手を放してしまった。
乾いた音をたててカードが地面に落ちる。
炎の塊はみるみるうちに色を失い、跡形もなく消えてしまった。
「……はあっ…。またダメかぁ…」
突如、腕から、そして足からふっと力が抜け、ぺたん…と力無く座り込んだ。
主の元へ、魔術師と巨人、そして紅蓮の恐竜がそろそろと歩み寄る。
「…大丈夫。大丈夫だから…」
顔を上げて笑みを返そうとするが、頬が引きつって上手く笑えていない。
不安げに見守る魔術師と巨人を次々とカードに戻し、ごろりと荒れ地に横たわった。
唯一残された恐竜が、地面に落ちたカードを銜えながら見下ろしてくる。
「……うん。さすがにちょっと、疲れた…」
そっと手を伸ばすと、恐竜が甘えるように頬をすり寄せてくる。
恐竜の口からカードが滑り落ち、パサ…と小さな音をたてた。
どうしても使えないカードが、一枚。
これまで何度も解放を試みたが、ことごとく失敗してきた。
そして、今日もまた。
ごっそり魔力が奪われる感覚に耐えきれず、集中力を乱してしまった。
「やっぱり、私には無理なのかな…?」
夜を照らす光に向かって、ぽつりと呟く。
恐竜はきゅう…と短く鳴いて、フィーの外套の裾を銜えると、くいくいっと引っ張った。
「…そうだね。
弱音吐いてる場合じゃない」
ゆるりと背を起こし、恐竜の額に触れる。
もう一度きゅう…と声をあげて、恐竜は元の―― 一枚のカードへと姿を変え、
フィーの手元に戻っていった。
やや気怠さは残るものの、ここで夜を明かすわけにはいかない。
立ち上がって衣服や髪に付いた草や土を払い落とし、しばらく後に朝日が昇るであろう方角に視線を移した。
――しばしの休養を取った後に、いよいよ聖地プロムスデルへ乗り込むのだから。
バルベリトと名乗るジェム教団の教祖。
あの男と闘い、そして、その背後に存在するセプターを倒す。
この世界はおろか、宇宙全てを破滅に導こうとする邪悪なセプター・ジェミナイを――。
ジェミナイ、という名が脳裏に浮かんだ途端、フィーはがたがたと震えだした。
――ジェミナイに会ってはいけない。
ゴリガンの口から初めて『ジェミナイ』という名を聞いた時から、ずっとそんな事を考えていた。
最初は、ただ単に恐いだけだと――そう自分自身に言い聞かせていたのだが。
クレイトスのコロシアムでバルベリトに会い、カザテガ・クアンゼを経てプロムスデルに近付くに連れて、
何か他にも理由があるのではないかと考えるようになった。
――ジェミナイに会ってはいけない。
それは、まるで延々と鳴り響く警報のように、フィーの脳裏に焼き付いて離れない。
だからといって、プロムスデルへ出向いてバルベリトと、そしてジェミナイに会わなければ。
少なくとも、この二人を倒さなければ。
神殿の前に捨てられていた自分を拾って育ててくれた神父ローウェン。
ケンカもいっぱいしたけど本当の兄と思って慕っていたアーヴァイン。
時には厳しく叱られもしたが、いつも温かい目で見守ってくれていたリセル・マルチナ。
血のつながりこそ無いが、本当の家族のように思っていたみんなが。
一国の王女様であるが、自分にとっては姉のようなセレナ。
誤解が解けて、常に自分に優しく接してくれるレオ。
カルドセプトを駆使する力に目覚めてから、行く先々で知り合った人達。
そして、ゴリガンとゼネスも。
みんな、みんな――。
震える身体を抑えつけるように腕に力を込めて我が身を抱き締め、
フィーは頭の中からジェミナイを追い出そうとしたが。
カザテガの宿屋に現れた、あの『影のような』存在。
鈴を転がすような、それでいて残忍さを含んだ声を持つ、自分と歳近いであろうあの少女。
『待っている』
少女は、確かにそう言った。
ジェミナイに、あの少女に会った時、果たして自分は――――。
「……ええい、もうっ!!!」
勢いをつけてブックケースから一枚のカードを引き抜くと、
ぎゅっと目を閉じて指先に力を加える。
ばさり…という音と共に、フィーの身体が宙に浮き上がった。
その背には、月明かりを浴びてキラキラと輝く光の翼が生えている。
「――逃げたりなんか、するもんか。」
迷いを振り切るように翼をはためかせると、朝日が昇る方角とは反対の、
煌々と輝く月が傾いている方向へ飛び去っていった。
続く