月光に霞む・2
交易都市クアンゼを出立し小さな町を三つほど越えて辿り着いたのは、
プロムスデルを目の前に控えた小さな田舎村エレーリ。
宿屋すらない無いその村の外れに、ぽつんと小屋が建っている。
生活の営みはとうの昔に失われてしまったようで、
テーブルや椅子、そして部屋の隅に置かれたチェストなど至る所に埃が積もっていた。
一行は、その小屋を宿代わりに使わせてもらう事に決めた。
ちょっと掃除するだけで雨風を凌げるならば野宿より遙かにマシだ…という、
皆の意見が見事に一致した結果だった。
未だ、夜は明けない。
空に浮かぶ月の光が、進む道を照らすように輝いている。
心地良い眠りの世界に浸っているであろう仲間達を起こさないよう、
フィーは古小屋からやや離れた木陰にふわりと舞い降りた。
魔力の流れを止め、注意深く光の翼を解除する。
翼は小さな光の粉となって月明かりに霞み、消えていった。
できるだけ音を立てないように気を配りながら、フィーは小屋へと歩みを進める。
しかし、屋根が作る影に紛れて気が付かなかったのだが――、
戸口に佇む者の姿を認めた時、フィーの足が止まった。
微かに、表情が強張る。
「……ゴリガン…?」
「ようやく、戻られましたか」
ゆっくりと話す穏やかな声は、決して怒りや呆れの感情は含まれていない。
しかし、フィーはばつが悪そうに視線を泳がせる。
「ずっと、……起きていたの?」
「……いえ。何やら強い力を感じまして、少し前から起きておりました」
「…そう…」
自分が持つカードの中に、ただ一枚だけ未だに使えないものがあることを、
フィーはゴリガンにも、レオとセレナにも話していない。
もっとも、遠い世界の抑制神であるというゴリガンのことだから、
とうの昔に気付いているかもしれないけれど。
ゴリガンの口からその話が出れば、大人しく白状するつもりではいるのだが。
だが、フィーがゴリガンと顔を合わせ辛いと思うのには、別の理由があった。
そして。
ゴリガンもまた、フィーの目を見て話すことができず、ただ自分の足下に視線を落とすばかりだった。
ざあ…、と強い風が吹いた。
やや冷たさを含んだそれはゴリガンの髭を、短くなったフィーの髪を揺らして、
あっという間に通り過ぎていった。
「フィー殿、あなたは…」
「――え? な、何?」
声が上擦ってしまい、フィーは内心しまった…と思った。
(これでは、『隠し事しています』って言っているも同然じゃない――)
苦い思いで、唇をきゅっと噛んだ。
しかし、当のゴリガンはそんなフィーの胸の内など知らず、しおしおと項垂れている。
「…な、何でもありませぬ。
もうすぐプロムスデルへ向かうのですから、…どうか無理だけはなさらぬよう」
「え、う、うん…。わかった。
…心配かけてごめんなさい」
「い、いえ。そのようなことは…」
「…ゴリガン」
「は、はい。何でございますかな?」
「あのね、ゴリガンは……。
――ううん、いい。何でもない。」
会話があまりにもぎこちないことに、フィーもゴリガンも全く気付いていない。
ここにもしセレナとレオがいたら、一体何があったのかと騒ぎたてるに違いないのだが。
しばしの沈黙。
それを静かに破ったのは、項垂れたままのアーティファクトだった。
「もうお休み下され。そして、今日はゆっくりお過ごしなされ。
今のあなたには休養が必要なのですからな。」
「…うん、ありがとう、そうするよ。
…でもゴリガンは、どうするの?」
「私はもう少し夜風に当たっております。まだまだ考えることがありますのでな」
「…そう、わかった。
おやすみなさい、ゴリガン」
「おやすみなさいませ」
やや歪んだ扉をそっと開けて、古小屋に入る。
扉に比較的近い位置で眠っているレオと、窓側で毛布にくるまっているセレナを起こさないよう、
フィーはそろりと自分の寝袋に潜り込んだ。
フィーが小屋に入るのを見届けた後、ゴリガンは深い溜息を一つ、零した。
話せない。
話せるわけがないのだ。
これは、あくまでも自分の憶測に過ぎない。
そんなつまらない話をしたところで、フィー殿に余計な不安を抱かせるだけだ。
――だが。
プロムスデルが近くなるに連れて膨らむ、この言いようのない胸騒ぎは一体何なのか。
煌々と輝く月を恨めしげに見上げる。
しかし、そうしたところで、この状況が僅かでも変わるわけはない。
「――あぁ、カルドラ様。
私は、一体どうすればよろしいのでしょうか……?」
ゴリガンはもう一度、深く息を吐いた。
明るい月の光をその身に浴びながら、しかし、その表情は曇ったままだった。
聞けない。どうしても。
聞いておかなければいけないのに。
ゴリガンは絶対、何か気付いている。
もしかしたら、ゴリガンの一言で、何もかも暴かれるかもしれない。
それがもし、自分の考えどおりの答えだったら、これから先どうなってしまうのか。
……だから、本当は聞くのが恐い。
――ジェミナイの、正体を。
きつく目を閉じ、フィーは寝袋の中で身を丸くする。
やがて訪れるだろう眠りの世界に身を任せてしまえば、こんな事考えなくて済むはずだ。
だが、もし。
またあの夢を見たら――。
不意に、外からゴリガンの気配が消えた。
「……ゴリガン?」
腕に力を入れて起き上がろうとしたが、疲れが溜まった身体は思い通りに動いてくれない。
(どこへ…行ったん…だろ…?)
自分もついて行きたかったな、などと考えながらも、
薄れる意識の中でフィーはゴリガンの行方を案じた。
続く