月光に霞む・3
闇。
どこまでも続く、深く暗い闇。
人の声も木々のざわめきも鳥の囀りも、何一つ聞こえない。
ただ眼前に広がるのは、全てを飲み込む漆黒と無の世界。
「…ゴリガン?」
声が、闇に吸い込まれてゆく。
何故自分がこんなところにいるのか、見当がつかない。
また、共に旅する仲間が誰一人、自分の側にいないのだ。
じわじわと広がる不安を振り切るように、フィーはもう一度声をあげる。
ゆっくりと息を吸い込み、力を込めて。
「セレナー? レオー? …みんな、どこー?」
精一杯声を張り上げたはずなのに、自分の声がよく聞こえない。
(…一体、どうなっているんだろう? みんなは…無事なのかな?)
深呼吸を一つ。
自分自身を落ち着かせるようにぎゅっと目を閉じ、ゆっくりと開ける。
誰でも良い。
この奇妙な世界に、誰かがいてくれたら。
微かな希望を胸に注意深く辺りを見渡すと――。
…くす、くす
背後からわずかに聞こえてくる声は、自分と年近い少女のもの。
「…セレナ!?」
一つ年上の、闊達な王女の姿が頭を過ぎる。
彼女の名前をもう一度呼ぼうと、声の方へ向き直ったその時。
…くす、くす
声は次第に近づいてくる。
――――違う。
セレナではない。
確かに聞き覚えのある声だが、どこか冷たい響きのあるそれは明朗快活な彼女のものではなかった。
(……それにしても、こんな真っ暗な場所でよく笑っていられる……)
フィーは恨めしげに闇を睨み付ける。
姿の見えない、相手に向かって。
…くすくす
まぁだこんなところでウロウロしているの?
声は、先程よりもはっきりと聞き取れるようになってきた。
瞳を凝らすと、やや離れたところに立つ人物がにたりと笑っている。
闇に紛れ、その姿形・顔立ちははっきりと見えないが、間違いなくその人物は笑っている。
「なっ、まだって…一体――」
ムキになって反論しようとするフィーを遮る、少女の声。
言ったでしょう?
待っているって
私はずうっと待っているのに
あなたはこんなところで何をしているの?
いつまで、この私を待たせるつもり?
「――っ!」
思い出した。
自分はこの声を知っている。
年若い少女のものでありながら冷酷さを孕んだ、その声を。
無駄なことはやめた方が良いわよ
どんなに足掻いたって、どうせ何も変えられないんだから
それよりも、早くこの私と――――――
くすくすと笑みを零しながら近付いてくる声に、フィーは身を強張らせる。
闇の中から不意に浮かび上がる顔は――。
「―――はっ!?」
目に飛び込んできたのは、古びた天井。
吐く息は荒く、額にはじんわりと汗が浮かんでいる。
(―――ああ、まただ……)
いたたまれなくなって、フィーはもそもそと寝袋から這い出る。
すぐ隣では健やかな寝息を立てているセレナが、
そして少し離れた場所ではレオが、未だ夢の世界を漂っている。
二人を起こさないよう気を遣いながら、ゆっくりと扉を開けて小屋を抜け出した。
外は、まだ月が支配する時間帯。
夜が明ける気配は未だに訪れない。
風は夜の冷たさを運び、さわさわと草木を揺らしながら通り過ぎてゆく。
おぼつかない足取りで古木に辿り着くと、
背を古木に預けてフィーはずるりとへたり込んだ。
しばらくは、吹きつける風に身を晒したまま、ぼんやりと月を見上げていた。
カザテガの宿屋に現れた『影のような』存在は、
あれ以来頻繁に夢に現れるようになり、徐々にフィーの睡眠を阻害している。
夜遅く、開くことのできないカードを召還するためにクリーチャーを過剰に呼び出すのも、
くたくたに疲れてしまえば夢を見ることなくぐっすりと眠れるのではないか…と考えてのことだった。
しかし、ギリギリまで削った睡眠も、結局は夢に苛まれてばかりだった。
『何も変えられない』
一体、「何を」変えられないというのか。
そして。
――――本当に、「何も」変えられないのだろうか。
プロムスデルでバルベリトを、そしてジェミナイを撃退できれば、
もうこんな夢を見なくて済むのかもしれない。
考えて、フィーは微かに首を振った。
そんなことは、甘い幻想だとわかっている。
ソルタリアの三賢者の一人でありながらジェム教団の教主でもあるバルベリトと、
全宇宙の滅亡を企てるセプター・ジェミナイを相手にして、無事でいられるはずがない。
それどころか、生きて帰ってくることすらできないかもしれないというのに。
一枚のカードを取り出し、紅蓮の恐竜を呼び出す。
両手を伸ばすと、火竜は首を伸ばして顔を近づけてくる。
そっと首を撫でると、ぽかぽかと温かい。
ほんの少し、フィーの顔に笑みが戻る。
しかし、それは自嘲を表していた。
「逃げない」、と。
確かに、自分はそう誓ったではないか。
力を貸してくれた男に、そして自分自身に。
だが。
プロムスデルに足を踏み入れた時、「現実」と向き合った時、
果たして正気でいられるのだろうか―――。
「―――怖い、よ…」
恐竜の首下に顔を埋めて、ぽつりと呟く。
口にしたところで、胸の中でくすぶっているものが消えるわけではない。
そして、怖いと言いながらも結局はプロムスデルに向かうのだ、自分は。
この旅の果て――この先に何があるのかを、自分の目で確かめるために。
苦々しく笑った声は、僅かに掠れている。
紅蓮の恐竜は小さな声で鳴いて、主を守るようにそっと首を曲げた。
(こうなったら、今から一人でプロムスデルに行ってしまおうか…?)
そんな無謀なことを考えながら、しかし恐竜の体温に安心しきった身体が徐々に重くなるのを感じ、
フィーは微かに顔を顰めた。
(…嫌、だ。眠ったら、また…あの夢、を…)
意識が曖昧になってきたところで、離れた位置にゴリガンの気配を感じた。
(ゴリガン…? …戻って、来たんだ。迎えに……)
しかし、気怠い身体はピクリとも動かず、次第に意識が遠くなっていく。
ゴリガンの気配が近づくにつれ、ぼそぼそと低く呟く声が聞こえてきた。
(―――何…?)
その問いかけは音にならず、とうとうフィーは深い眠りに落ちていった。
続く