月光に霞む・4
窓から射し込むのは、月の明かり。
淡い輝きが、明かりのない室内をぼんやりと照らしている。
古びたベッドに横たわるのは、髪の長い女性。
月明かりを受けたその顔は、仄かに青白い。
椅子に腰掛けた男が、沈んだ表情で女性の髪を梳いている。
悲しい。
どうして、こんなにも悲しいのだろう。
私は、この人を……
知っている?
ゆっくりと瞼を開く。
朝を告げる鳥の声と、涼やかな空気。
空の明るさで、まだ夜が明けて間もないことを知る。
「…そっか。あのまま寝ちゃったんだ…」
自分が身を預けている紅蓮の恐竜は、未だ規則正しい呼吸を繰り返して微睡んでいる。
「今のって、まさか……ね」
首を傾けて恐竜を見上げるが、一向に目を覚ます気配はない。
しばらくは恐竜の寝顔を眺めていたが、眠りを妨げないようにゆっくりと上半身を起こし、
一つ伸びをする。
ふと、胸元から何かが落ちたような気がして、フィーは視線を落とした。
「――これ…は……」
拾い上げた物を見た瞬間、フィーは目を丸くした。
それは、自分の物ではない「神の石版」。
触れた指先から、僅かながら持ち主の魔力が伝わってくる。
「―――まいった、な」
フィーはバツが悪そうに、肩を竦めた。
空は次第に青の色を濃くしてゆき、太陽の輝きも段々強くなってゆく。
澄んだ空気を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
あまり眠っていないうえ夢まで見たというのに、頭の中はすっきりと冴え、
たまっているはずの疲労もあまり感じない。
自分の中に、前へ進もうとする意欲――力が漲ってくるのがわかる。
眠る前までは、あれ程消極的でぐずぐず迷い続けていたというのに。
手に持ったままの石版をそっと額に当て、はにかみながらフィーは呟いた。
「…ありがとう、ございます」
木陰で静かに眠る恐竜をカードに戻す。
フィーはカードを労るように撫で、ブックケースに仕舞い込んだ時、
「おはようございます、フィー殿」
少し離れた別の木陰で眠っていたゴリガンが、目を覚ました。
「おはよう、ゴリガン」
「ご気分はいかがですかな?」
彼もまた、睡眠を十分取っていなかったはずだが、疲れを微塵も感じさせない振る舞いを見せる。
そして、己に燻っている不安や疑惑も決して表に出さず、
昨夜の気まずかった雰囲気を持ち込むようなことはしない。
そんな風に接してくれるゴリガンに、フィーは心の中で感謝の言葉を呟きながら、
別の言葉を口にした。
「うん、何となく身体が軽いし…。
悪くない…かな」
「そうですか、それは良いことですな」
フィーの返答に、ゴリガンは満足そうに頷いた。
つられてフィーも、笑みを返す。
「セレナとレオが起きたら、朝ごはんにしよう。
今日は干し魚のスープが良いなぁ。」
「そうですな、あの魚もそろそろ食べてしまわないと悪くなってしまいますぞ」
「あれ、結構美味しいね。今度また釣りに行こうよ」
「それは良いですなぁ。
しかし、セレナ殿などはお一人で二匹以上平らげてしまいますから、
何匹釣っても足りませんぞ、きっと」
「うんうん、確かに」
顔を見合わせ、笑い合う。
何気ない、いつもの会話。
賞金稼ぎライバーンからゴリガンを救った日から幾度となく繰り返されてきた、二人の日常。
しかし、それももう終わりの日が近付いている。
「食べ終わって、一休みしたら……行こう」
「…フィー殿…?」
「プロムスデルへ」
「……」
見上げるゴリガンの目が、フィーの瞳とぶつかる。
穏やかで、しかし確固とした決意を秘めた新緑の光。
自然と、ゴリガンも姿勢を正す。
「……わかりました。
それでは食事が終わりましたら、プロムスデルへ向かいましょう」
「うん。あのバルベリトって人を、相当待たせちゃってるから…ね」
おどけた仕草でフィーは言ってみせるが、ゴリガンの方は真剣そのもの。
「……フィー殿…」
「…なに?」
「どうか……くれぐれも、お気をつけくだされ」
「……うん。ありがとう、ゴリガン」
自分の身を案じてくれるアーティファクトに応えるように、
フィーは晴れやかな笑顔を返した。
「早くしろよ、置いて行くぞ」
「待ってよー! 今やっと掃除終わったんだからぁ!」
「まあまあ、そんなに慌てなくともよろしい」
「セレナー、荷物は外に出しておくからねー」
エレーリ村から目と鼻の先程にある、聖地プロムスデル。
昼前には悠々到着できるであろうその場所を目指し、一同は歩みを進める。
敵対する者の本拠地へ乗り込むのだ。
決して無事で済むはずがない。
わかっていて、それでもなお、先へ進まなくてはならない。
聖地プロムスデルは、かつては主神ソルティスを崇める巡礼者で賑わっていたが、
現在はジェム教団の巣窟と化している。
洞窟の天井から伸びるように造られた、円柱状の建造物。
重力に逆らうように建つその建物を前に、一同は息を呑んだ。
「い…いよいよ…ね……」
「…ああ……」
聖地に似つかわしくない濃密な邪気が、一帯に漂っている。
異様な雰囲気に包まれたこの地では、セレナもレオも、交わす言葉は少ない。
「フィー殿…どうか、お気をつけくだされ」
「うん…わかってる」
ブックケースにそっと手を伸ばし、警戒しながら一歩、また一歩と先に進む。
「絶対に、逃げたりなんかしない。
どんなことがあっても」
屹度天を見上げ、自分に言い聞かせるように呟いた。
その言葉は、仲間達の耳には届かなかったが。
待ち受けているものは。
破滅の鎖か。
絶望の刃か。
それとも。
End