「何じゃカーラ、そんなところでボーッとしおって」
柵に寄り掛かったまま座り込んでいる孫娘の姿を見つけ、
ミルザムはゆっくりとした足取りで傍へと歩み寄った。
「じいちゃん…?」
「また、そいつを見ておったのか」
「うん…」
カーラと呼ばれた少女の手には、一枚の石版。
描かれているのは、数本の根茎を持つ羊が草を食む姿。
「兄ちゃん、今どこにいるのかな…」
「さあての。エリオスのことじゃから、きっとどこかで元気でおるじゃろうて」
「でもさ…。元気だったら、手紙くらいくれたっていいんじゃない?」
少女はぷう、と頬を膨らませる。
「かっかっか。お前さんはいっつもエリオスの後ろをついて回っておったからのぉ。
エリオスが家を出た時も、『行っちゃ嫌だ』とわんわん泣いておったし」
「もうっ、じいちゃんはまたその話するー!」
ぷいっとそっぽを向く少女。
そばかすが散っている頬は膨らんだままで。
老人は穏やかな笑みをたたえ、孫娘の様子を眺めていたが、
ふっと流れる雲に視線を移した。
「さて、あやつはいっぱしのセプターになったじゃろうか…」
『かつてはわしも、この世界を旅して回ったものじゃよ』
この言葉から始まる昔話を幼い孫二人に語って聞かせることが、
いつしかミルザムの楽しみとなった。
瞳を輝かせて話の続きをせがむ孫達の姿を見るのが嬉しかったからだ。
人の往来が激しい交易都市、強風吹き荒れる峡谷、穏やかな日差しが降り注ぐ田園地帯、
真っ白な雪で覆われた山の麓、雨止む日のない密林、灼熱の太陽に焼かれる砂漠…。
「懐に忍ばせたカードだけが、わしの旅の友じゃよ」
からからと笑いながら、己の武勇伝を孫達に語った。
やがて兄は、祖父のカードを見せて欲しいとねだるようになり、
老人もまた納戸の古机から何枚かの石版を取り出しては、孫達に見せるようになった。
石版を解放する力がこの二人にはないということを、その時に老人は知ったのだが。
そんなことを繰り返しているうちに。
兄に、カードを解放する力が芽生えた。
少女の手にあるカードは、兄から手渡された物だ。
元々は老人のカードであったが、いつまでも泣いて引き留める妹を宥めるために、
兄が置いていったのだ。
あれから、季節は何度巡っただろうか。
エリオスは、未だ家に帰ってこない。
それどころか、手紙の一つもよこさない。
カーラが不機嫌になるのも、仕方のないことだろう。
だが、ミルザムは、エリオスが遙か遠い地で元気でいることを確信している。
もっとも、そう言ったところでカーラが納得するはずはないとわかっているので、
黙っているのだが。
「ねえ、じいちゃん」
「ん?」
「兄ちゃんは、じいちゃんとおんなじセプター…っていうんでしょ?
どうして、じいちゃんも…兄ちゃんも、みんな家を出ていってしまうの?」
「そうじゃのう…」
流れる雲を目で追いながら、老人は傍らでむくれている少女の頭を撫でた。
「カルドセプトは、元はといえば女神様の書物だったそうじゃよ。
別の神様の反逆に遭って、やむなく女神様は書物を破壊し、
その欠片を世界各地にばらまいてしもうた。
それが、これらのカードだと言われておる。
全てのカードを手にした者は、新たな世界を創造する力を得ると言われておってな。
わしが若い頃旅に出たのも、全てのカードを集めたいと思ったからじゃ」
「でも、それって作り話なんでしょ?
だいたい、新しい世界の神様なんて、あたし知らないもん」
「そう簡単に、新しい世界がポンポン出てきてたまるかい。
カルドセプトを巡る争いが激しくなった時、世界を平和に導く者――覇者が現れる。
わしが旅に出た頃は、確かにセプター同士の戦いは各地で繰り広げられたものじゃが、
…残念なことに、あと一歩及ばなかったよ」
「……本当?」
「そんな目で見るんじゃない!
わしはこれでも、当時は名の知れたセプターじゃったよ。
…ばあさんに会うまではな」
「――ばあちゃんに?」
「ばあさんはカード使い―セプター―じゃないから、
危ないことが起こらないよう、わしはカードを使うことをやめたんじゃよ」
「だから、机にずっとカードをしまってたんだ」
「まぁ、誰かにやっても良かったんじゃが…。
かつてのライバル達にホイホイとカードを譲るのはちとシャクでな」
「それを…兄ちゃんが…」
「まぁ、カードを全部渡してしまうのは、あ奴のためにはならんじゃろうから、
ブックを一つと数枚のカードを持たせたのじゃよ」
「ふうーん…」
「エリオスの奴は…果たしてわしと同じことを思ったかどうかわからん。
じゃが、カードを解放する能力に目覚めた者が、その力を試してみたい…と思うのは、
決しておかしなことでも珍しいことでもないぞ。
ここいらは至って平和じゃが、遠く海を越えた大陸では争いが絶えないと言うしのぅ」
「あたし…あたしには、よくわかんない」
少女は、手にしたカードに視線を落とす。
「まぁ、それは無理もないことじゃ」
カーラには、カルドセプトを解放する力がない。
もしその力を得たとしても、果たしてミルザムやエリオスと同じ考えを抱くかどうか。
それは誰にも、カーラ自身でさえもわからないだろう。
「…っつ!?」
「どうしたんじゃ? カーラ」
咄嗟にカードから手を離す少女を、老人は訝しげに見下ろす。
「わっ、わかんない。カードが急に熱くなって…」
「……な、何じゃと?」
地に落ちたカードを拾おうと老人は腰を屈める。
皺だらけの手が拾い上げたそれは、淡い光を放っている。
孫娘の話どおり確かに熱を帯びているが、手に持っていられない程熱いというわけではなかった。
「こ…これ、は…」
みるみる険しくなる祖父の顔を、少女はただおろおろと見つめている。
「どうしたの、じいちゃん!?」
「ま……まさか、そんなことが…」
孫の声が耳に入っていないのか、祖父はおぼつかない足取りで家に向かう。
少女も慌てて、後を追いかけた。
(わ…わしが、生きている間に…)
ミルザム老人は小走りで家に入り込んだ。
笑顔で迎える妻に、言葉を交わすことなく。
いささか乱暴に、老人は机の引き出しを開ける。
取り出したカードの束は、半草半獣のカードと同じように、淡い光と熱を放っていた。
しかしこれらは、半草半獣のカードに呼応するように、時折瞬いているのだ。
ぎこちない手つきで紐を解いて、机にばらまいたカードを一枚一枚触ってみる。
その間も、熱と瞬きは一向に治まらなかった。
「ま、間違い…ない。
本当に…本当に……」
わなわなと震える祖父にいよいよ痺れを切らし、少女が祖父の腕を掴んで揺り動かす。
「じいちゃん! じいちゃんってば! 一体、どうしたの?」
少女の切羽詰まった声も、老人の耳には届かなかった。
カードに触れたまま呆然と立ち竦んでいた老人の両目から、ほろほろと涙がこぼれ落ちた。
孫娘が見ているのも構わずに、老人はただ肩を震わせてむせび泣く。
「わしの…わしの生きているうちに…こんな、ことが…」
「…じい、ちゃん……?」
大粒の涙をこぼす祖父と机の上で輝くカードを、少女はただ交互に見比べるばかりだった。
「お前が、お前…なんじゃな…?
――エリオス…」
嗚咽をこらえながら、老人は、旅に出たきり戻ってこない孫息子の名前を呟いた。
光と熱を放っていたカードは、やがて。
小さな光の粒と化して、静かに消えていった――。
「…ごめんよ。カーラ」
青年の表情が、僅かに陰った。
数多の光が、青年を取り囲むように集まってくる。
彼はしばらくそのまま立ち尽くしていたが、
己の手をグッと握りしめて、ゆっくりと歩き出した。
一歩、また一歩と。
「じいちゃん……。俺は、行くよ」
End
カルドセプト10周年を祝うブログ様 に投稿させていただきました。