薄鈍色の空の下・後編





まず、差し出されたのは純白のタオル。


恐る恐る受け取ったシルベストリは、その柔らかさに緊張の糸がほぐれたようだ。
「うわー・・・ふかふか・・・・・。」
ぽふっと顔を埋めて幸せそうに呟く。
子供っぽいその仕草に、ふとトロイは笑みを零す。
さっきよりは、幾分元気を取り戻したらしい。



イルヤ島のかつて広場であった場所に、悄然と腰を下ろしていたシルベストリを、
半ば強引に連れて来たは良いが、何故そうしたのかはトロイ自身わかっていない。
本来、その場で斬り捨てる事がクールークのためである筈なのに。


鎧を外し、身軽になってから湯を沸かし始め、茶葉の入った銀色の筒を取り出す。
暖炉の前に陣取り、幸せそうにふかふかのタオルに顔を埋める少年を、複雑な思いで見つめる。
シルベストリは、左手だけグローブを外していない。
あれほど触れられる事を拒んだ、左手だけ。
ただの怪我で、あれ程まで取り乱す筈は無い。
しかし、どうしても左手の事を切り出せなかった。


「乾くかどうかはわからぬが・・・濡れ鼠でいるよりは、マシだろう。」
そう言って渡されたのは、どうやらクールーク兵士用のアンダーウェアらしい。
「あ、ありがとうございます・・・。」
名残惜しげにタオルから顔を離し、雨で濡れた髪をタオルで拭いてから、
アンダーウェアを受け取った。
着ていた服を椅子に引っかけ、アンダーウェアに身を包むが・・・。
「・・・少し、大きいですね・・・・・。」
両手を突き出し、サイズの違いを主張する。
・・・確かに、全体的にぶかぶかだし、袖や裾は明らかに余裕が有り過ぎる。
「・・・・・・・・・・。」
吹き出しそうになるのを辛うじて堪えるが、ふと目が合うと、そこにはむくれた表情が。
「・・・笑わなくても、良いじゃないですか!」
明らかに非難している。怒っている。
「す・・・すまない・・・。」
平静を装いながら謝罪の意を伝え、逃げるようにお茶の準備に取りかかった。
「この服が大き過ぎるんですよ・・・。」
ぽつりと呟いたその言葉に、トロイは危うく茶筒を取りこぼしそうになった。


手際よく器に湯を注ぐ様を、シルベストリは行儀良く椅子に座ったまま見つめる。
「上手ですね、ちょっと意外です・・・。」
「・・・・・そうか?
・・・確かに、普段は茶を淹れる機会はあまり無いがな。」
「そうなんですか? そうは見えませんよ。
ぼくの部屋にお茶のセットがあるんです。
仲間が用意してくれたんですけど、食事の後とかに自分の部屋でお茶を飲むと落ち着きますよ。」
「・・・そうか。では、私の淹れた茶が口に合うかな?」
「有り難〜く、頂きます。」
顔を見合わせて、どちらからともなく笑い合う。

敵同士のはずなのに、何故こうも穏やかな時間を過ごすことができるのか・・・?


「・・・で、ここには何しに来た?」
突然の問いに、シルベストリはカップを両手で支えたまま俯いた。
紅茶に映った自分の顔が歪んで見える。
「・・・仲間になってくれる人がいないかな・・・と思って。」
「一人で、か?」
「・・・はい・・・。」
「リーダーが供を引き連れず単身敵地に乗り込むとは・・・軽率ではないのか?」
「・・・確かに・・・その通りですよね。」
ほんの少し、シルベストリの表情が曇る。
この少年は、時折自分自身を突き放したような物の言い方をする。
最初に広場で会った時も、そうだった・・・。
ちり・・・とほんの少し胸の奥が痛むのは、何故なのか・・・?
「・・・でも、少しだけ・・・・・。」
それ以上、シルベストリは言葉を続けようとしない。
結局、トロイは話を促すのを差し控えた。


窓の外の雨は、絶えず降り続いている。
昼時か夕暮れ時かさえ判断できないくらい、外は薄暗い。


「それにしても、よく雨が降りますね。」
「・・・そうだな。」
「・・・ここまで・・・する必要が、あったんですか・・・?」
「・・・・・」
それに対しては、返す言葉も無い。
直接、自分が手を下していないとしても、『イルヤ島が壊滅したのはクールークの仕業』である事に
変わりは無いからだ。
その事でどんなに非難されようとも、反論する権利など有る筈が無い。
次に出てくるであろう非難の言葉を甘んじて受けようと覚悟していたトロイは、
目の前の少年が急に頭を下げたので呆然となった。
「・・・すみません、生意気な事言って。」
「何故、謝る?」
「えっと・・・何故なんでしょうね?
でも、今のは・・・ぼくの方が謝らなければいけない気がしたんです・・・。」
「妙な事を言う。この島をこんな姿にしたのは、・・・・・我々の軍だ。」
「それでも、です。」
飛び込んできたのは、意志の強さが宿った蒼色の瞳。

ああ、そうだ。・・・あの時と同じだ。


仲間達と商船から逃げ出した時に、ほんの一瞬見せた表情。
その強い光を放つ蒼色の瞳が、すぐ目の前にある。




まさか本当に生きているとは思わなかった。
しかも、オベル国を中心とした解放軍のリーダーになっているなど。

コルトンは恨めしげに睨み付けてきたが、
あの少年が生きていた事を知った時、どういう訳か安堵したものだ。
ならば・・・もしもう一度会う事があれば、今度こそその若い命を奪う事になるのだろう。
この、自らの手で。

しかし、いざ再会してみると、殺す事をためらう自分に戸惑いを隠せない。

クールークのために、今この手で目の前の少年の命を絶てば、敵軍の気勢を削ぎ
南征政策が格段に楽に進むはずなのに。
目の前の少年に戦意が無いから・・・と自分に言い訳をしてみるが、本当にそれだけなのだろうか・・・。



「・・・そろそろ・・・仲間のところへ戻った方が良いのではないか?」
「え・・・あ、そっか・・・すっかり長居してしまいましたね。」
「それは構わない・・・。だが、心配しているだろう?仲間達が。」
「確かに・・・・そうですよね。」
ほろ苦い笑みを浮かべて、シルベストリは椅子から立ち上がる。
椅子に引っかけてあった自分の服を掴んで、いそいそと着替え始めた。
「うわっ・・・乾ききってない・・・。」
「やむを得ないだろう。大体イルヤに出かけて、全く濡れていない方が不自然だ。」
「うう・・・それはそうですけど・・・。」
にやりとほくそ笑むトロイに、明らかに不満顔のシルベストリ。


見張り役のクールーク兵を避けるため、客室の裏口からシルベストリを帰す事にした。
「・・・相変わらず、空の色は暗いですね・・・。」
「・・・ああ。」
止むことを知らない薄鈍色の雨が、二人に降り注がれる。
空を振り仰いだシルベストリが、トロイに向き直る。
「色々と、ありがとうございました。」
「くれぐれも、今日の事は仲間にばらすなよ。」
「さすがにできませんよ、そんな事。」
そう言って、ポケットから瞬きの手鏡を取り出した。
「・・・それは?」
「あ、これ便利ですよ。仲間から借りてるんですけど・・・。
あっ!という間に、船に帰れるんです。」
「そうか・・・確かに便利だな。」
しかし、手に持ったまま、シルベストリはなかなかその手鏡を使おうとしない。
「どうした・・・?」
「・・・正直言って、ぼくはあの場で斬られてもおかしくなかったんですよね。」
何故か、その表情に自嘲の色は無かった。
むしろ毅然としている・・・リーダーの表情だ。
「ぼく達、本当は・・・・・敵同士ですから。」
「・・・そうだな。
・・・次に会った時は、容赦はしない。」
「ぼくも・・・負けませんから。」
互いに真剣な面持ちで見つめ合う。

・・・が、しかし。
「・・・ふふ。」
「あはは・・・。」
まるで睨み合いに降参したかのように、2人共声をあげて笑い出した。
「奇妙なものだ。こうして敵同士で茶を飲んだりするとはな。」
「あはは・・・確かに。でも、こうしてトロイさんと話ができて、楽しかったですよ。」
「そうだな。私も、・・・楽しかった。」
互いに、喉まで出かかった『敵でなければ・・・』の言葉を飲み込んだ。
ここで口にしてもどうなるものでもない事を、2人とも理解しているから・・・。

「じゃ・・・ぼく、戻ります。」
くるりと背を向け、歩き始めようとしたその時。
「待て。」
咄嗟に、手首を掴む。
彼があれ程までに触れられるのを拒んだ、左手・・・。
振り払う暇を与えぬよう、強引に引き寄せ、掠めるように口付ける。
呆然とするシルベストリに控えめな笑顔を見せ、小さな身体をそっと抱きしめながら、
一言だけ耳元で囁いた。



「死ぬな。」と。



「ど・・・どうしよう・・・あの人は、敵・・・なのに・・・。」
掴まれた左手を胸に抱き、真っ赤になったり真っ青になったり、忙しく顔色を変える。
本拠地に戻り、仲間へのあいさつもそこそこに、シルベストリは猛ダッシュで自分の部屋に駆け込んだ。

手を振り払う暇が無かった。
呪われた紋章の入れ物である、左手。
誰にも触れられたくなかったはずなのに、ただあの人にだけは・・・。

「ぼくは・・・あの人と戦わなくちゃ、いけない。」
自分に言い聞かせるように、ぽつりと呟いた。
未だ熱の残る左手を抱きしめながら。



「・・・やれやれ。完全に、情が移ってしまった・・・か。」
降りしきる雨もそのままに立ち尽くす。

しかし、いずれは戦わなければならない相手。
・・・せめてこの手で、少年の生命を奪う事ができるなら。

自嘲気味に笑って、トロイはいつまでも少年の去った場所を見つめ続けた。

薄鈍色の空の下で。




シルベストリの左手の謎をトロイが知る事になるのは、少し先の話・・・。



End


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