冷たい指先





太陽は既に姿を消し、オレンジ色に染まった空が徐々に闇の色に浸食され始める頃。
野球部の練習が終わり、上級生は部室へ歩みを進め、1年生たちはグラウンド整備と
後片付けのため各地へと散っていった。
「っは〜、今日も疲れたぜぃ。」
首をこきこきと回しながら、トンボを片手にグラウンドをうろうろする猿野。
「猿野君、真面目にやってくださいっす・・・。」
グラウンド整備の手は休めずに、子津が溜め息を零しつつも猿野に注意する。
「内野を彷徨っていないで、さっさと整備を済ませてくださいよ、猿野君。」
眼鏡のずれを正しながら、辰羅川は手厳しい言葉を発する。
「そりゃないぜモミ〜ちゃん。」
「スピーディかつ丁寧に整備を終わらせます。いいですね?」
無茶な要求をびしっと突きつける辰羅川にぶぅぶぅ文句を言いながらも、
従うしかない猿野だった。

「えっと・・・ボールはこれで全部かなぁ?」
練習で疲れているにもかかわらず、軽快な足取りで兎丸が散らばったボールを集めている。
「・・・とりあえず、全部だろ。」
両手でバットケースを持ったまま、犬飼が答える。
「・・・・・・・(こくり)。」
ボールの入った篭を兎丸に差し出し、入れるよう促す司馬。
「そっかぁ、じゃ、これで帰れるね。
ちゃっちゃと閉まって、早く帰ろうよぉ〜。
あ、そだ、シバ君。帰りにゲームソフト買うの、つきあってよ。」
「・・・・・(こく)。」
仲睦まじく会話を交わす(!?)司馬と兎丸を、心の奥底で
ほんのちょっぴり羨ましいと思う犬飼だった。


「じゃあね、お先〜!!」
「・・・・・・・・・。(さっと右手を挙げている)」
1年生組でいつも真っ先に部室を出るのは、兎丸&司馬コンビ。
「・・・あれ〜?子津くんは〜?」
兎丸が部室内をきょろきょろと見渡すが、バンダナとそばかすがトレードマークの、
子津の姿が見えない。
「奴の事だ、今頃女子マネでも追っかけ回してんじゃね〜か?」
戯けて笑う猿野に対し、
「てめーと一緒にすんな。バカ猿。」
「え〜??お猿の兄ちゃんじゃあるまいし〜!!」
「子津君がそんな事する訳ないでしょう!!」
「・・・・(ふるふる)。」(激しく否定)
1年生カルテットの集中砲火が飛んだ。
「わぁってるって、ジョーダンに決まってるだろうが!!
あいつの事だ。自主練だろ、きっと。」
猿野は髪をがしがしとかきむしりながら訂正する。
「頑張ってるよね〜、子津くん。」
「・・・(こく)。」
「ですが・・・無理しすぎて怪我などしなければよいのですが・・・。」
「だよなぁ。怪我しちゃ元も子もないからな。
・・・ま、でもあいつらしーけどな。」
「・・・・・。」
それぞれが、ここにいない子津の事を思った。


「待っていてあげるんでしょう?」
猿野や他の1年生も続々と帰り、部室には辰羅川と犬飼が残された。
「・・・・・・あぁ。」
そう答える犬飼は、どこか煮え切らない表情だ。
「どうかしましたか?何か悩み事でも?」
犬飼と子津の関係を、おそらく一番わかっている辰羅川が、
他に部員がいないというのに、声を潜めて訪ねる。
「辰・・・俺は・・・・・、
あいつの力にはなれないのか?」
辰羅川を見ようともせず、椅子に腰を下ろしたまま、呟く。
「・・・犬飼君。・・・・あなたという人は・・・。
他人に対し、そこまで思いやりの心を持てるようになるまで、進化したのですね。」
眼鏡を外し、 ハンカチで目頭を押さえながら、辰羅川が感動の涙を流す。
「・・・・何だ、それは。」
「・・・おっと、私としたことが、失礼しました。
『進化』ではなく、『進歩』でしたね。」
「・・・・・・おい。」
的外れな辰羅川の台詞に、犬飼はがっくりと肩を落とす。
「まぁ、いいではありませんか。
・・・・・無理に何かをして差し上げなくとも、そうですねぇ・・・、
ただ傍についていてあげるだけで、大きな支えになることも、あるのですよ。」
「・・・そういうものなのか?」
「そういうものです。」
「・・・わかった。」
そう言って席を立つ犬飼に辰羅川は部室の鍵を預ける。
「頑張ってくださいね。」
少々意地の悪そうな笑みを浮かべ、辰羅川が部室の扉を開く。
「・・・・・・とりあえず、サンキュ。」
辰羅川の背に向かって、ぼそりと犬飼は答えた。


「・・・・・おや、待たせてしまいましたか?申し訳ありませんね。」
門の外で、律儀にも待っていた猿野に向かって軽く頭を下げる。
「気にすんなよ。どうってことないさ。
それよりも、コゲ犬と何話してたんだよ?」
頬をぽりぽりとかきながら、猿野は照れ隠しなのか話題を変える。
「いえね、ちょっとしたアドバイスをしただけですよ。」
「ふ〜ん・・・。ったく、あの犬っころめ。
ネズッチューを泣かせたら、銀河の果てまでぶっ飛ばすかんな・・・。」
「ふふ、意外と友達想いなのですね、猿野君は。」
「意外って何だよ、意外って?」
「いえいえ、さぁ我々も帰りましょうか。」
食って掛かる猿野を軽くいなし、すたすたと歩き出す。
「ちょっ・・・、お、おい待ってくれよー!!」
慌てて、辰羅川の後を追う猿野だった。


壁にボールが当たる音が響く。
今日もまた、彼はひたすら投げ込みを繰り返している。
子津の見えないところから、犬飼はそっと練習する姿を見つめる。
以前、彼の練習を手伝うことを提案したが、
自分の練習につきあわせて、かえって犬飼に怪我などをさせるわけにはいかないと、
子津に断られたのだ。
部活後の限られた時間。たった一人の、孤独な闘い。
そこには、何人たりとも立ち入ることは出来ない。
だから、犬飼はただその姿を見守ることしかできない。


しばらくは、子津の投げ込みを黙って見ていた犬飼だったが、
ふと子津の右手を見ると、指に巻かれた包帯の所々が赤く染まっているのに気がついた。
無意識のうちに、犬飼は子津に向かって歩き出した。
今までボールと壁しか目に入っていなかった子津は、ふと顔を上げた。
「あ、犬飼君、お疲れ様っす。」
こんな時でも、他人への気遣いを忘れないのが、彼らしい。
しかし、自分はそんな気の利いたことなんて言えやしない。
情けない自分に唇をぐっと噛むが、再び視界に入った
子津のぼろぼろの右手を思わず掴んでしまった。
「え、あ、あの、犬飼君・・・?」
突然のことにびっくりし、目をぱちくりと瞬かせながら、
子津は自分よりも20センチ身長の高い犬飼の顔を見上げた。
「・・・・・包帯、替えてやる。」
そう言うと、部室の方へ子津を引っ張っていった。
「ちょ、ちょっと犬飼君?
ボクはまだ練習できるっすよ?」
無理矢理引っ張っていく犬飼に抗議の声を上げるが、
犬飼は掴んでいる子津の右手を、本人の眼前に持ってこさせた。
「この手で、何ができる?
こんなにぼろぼろになるまで・・・。こんなに冷たくなるまで・・・。」
実際に、酷使した子津の右手は、指先から手のひらまで冷え切っていた。
こんなになるまで放っておいた自分に苛立ち、つい口調が険しくなった。
「あ、あの・・・・・ごめんなさいっす・・・。」
叱られていると思いこんだ子津は、恐る恐る犬飼の顔を見上げるが、
その表情に宿っているのは、深い悲しみだった。
「頼む・・・無茶だけはするな・・・・・。」
傷ついた子津の右手に熱を与えるかのように、両手でそっと包み込む。
自分よりも小さなその手を。
「・・・・・ごめんなさいっす・・・。」
子津は俯いて、ぽつりと呟いた。
「今日は、もう投げ込みはするな。」
「・・・わかったっす。」
意外にも、子津は素直に従った。
「部室へ戻るぞ。」
「あ、はい・・・・・」
犬飼の後について歩き出そうとした時。
ふらり。
急に子津がバランスを崩して倒れかかった。
「おい・・・っ!?」
咄嗟に、子津の体を支える。
「へへ、ちょっと躓いたっす・・・。」
慌てて犬飼から離れようとするが、急に視界が回り始めた。
「え、あ、あれ、いったい・・・??」
はたと気がついたら、子津は犬飼に抱き上げられていた。
「わあっ、い、犬飼君、何するっすか?
誰か来たらどうする・・・」
「とりあえず、こんな時間に、誰もいる訳ねーだろ。」
精一杯の抗議は、すぐ目の前にいる犬飼に速攻であしらわれた。
「うぅ〜・・・。」
申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちで、子津の顔は真っ赤に染まった。
「とりあえず、無茶だけはしないでくれ・・・。」
縋るような、祈るような犬飼の言葉に、
「ごめんなさいっす。・・・これから気を付けます。」
今日3回目の『ごめんなさい』とともに、犬飼の肩に頬をすり寄せる。


『ただ傍についていてあげるだけでも、大きな支えになることも、あるのですよ。』
ふと、辰羅川の言葉が頭をよぎった。
最初は恥ずかしがっていた子津が、安心して自分に身を任せてくれている。
(とりあえず、これでも、支えになれたのかもな・・・。)
親友の言葉が少しだけわかったような気がした犬飼であった。



END


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