始まりの予感





俯きがちだった視線を、ゆっくり上げた時、
穏やかな笑顔が飛び込んできた。

その笑顔がまぶしくて、また俯いてしまった。

本当はずっと、見ていたかったけど。


十二支高校に入学して早くも一週間が過ぎた。
放課後になると、校内の様々な部が早くも新入生勧誘に精を出し始めた。
掲示板に貼られている各部のポスターを、猫湖檜はぼんやりと眺めていた。
(運動部は・・・自分には無理・・・かも。)
両手に抱えている猫神さまに顔を埋める。
「よぉ、檜。お前、どの部に入るんだ?」
中学時代からの親友、熊清もみじが駆け寄ってきた。
「もみじちゃん・・・廊下を走っては駄目・・・かも。」
「おっといけね。」
照れ隠しかぺろっと舌を出してもみじが肩をすくめる。
「もみじちゃんは・・・どうするの・・・?」
視線を上げ、檜が尋ねる。
「ん〜どうすっかなぁ。色々とやってみたい部活はあるんだけどなぁ。」
まだ決めてないんだよな、ともみじは答える。
「幾つか部活、見ていくか?」
「うん・・・そうする・・・かも。」
「あっ、俺週番だから、職員室へプリント取りに行く途中だったんだ。
後で檜のクラスへ行くから、ちょっと待っててくれるか?」
「うん。・・・待ってる。」
「じゃ、後でな。」
そう言って、もみじは職員室へ向かって走り出した。
「もみじちゃん・・・また走ってる・・・かも。」
控えめな笑顔でもみじが去った方向を見つめていたが、
自分のクラスへ戻るため掲示板を離れた。
その時、談笑しながら歩いていた男子生徒にぶつかった。
「・・・あ。」
ぶつかった拍子に、檜の手から猫神さまが転げ落ちていった。
「おっとわりぃ。」
ぶつかった檜に謝った男子生徒は、しかし猫神さまに気付かずにその場を去ってしまった。
「ね・・・猫神さまが・・・。」
瞳にうっすらと涙をためて檜が猫神さまに駆け寄ろうとしたその時。
誰かが猫神さまを拾い上げた。
その手は、あちこち絆創膏が貼られていたが、優しく猫神さまに付いた埃を払い落とした。
「・・・はい、これ。」
檜が猫神さまから、拾ってくれた男子生徒に視線を移した。
ストライプのバンダナに、人の良さそうな笑顔。
頬に散ったそばかすが、その笑顔に合っている、と檜は思った。
しかし、元々内向的な性格であり、相手の目を見て話すことが苦手な檜は、
その笑顔から視線を外し、俯いてしまった。
本当は、その笑顔を見ていたかったのに。
「君のっすよね?」
「・・・うん・・・。」
注意して耳を傾けないと聞き取れない位、檜の声は小さかった。
俯いたまま、恐る恐る手を伸ばし猫神さまを受け取る。
「それじゃあ。」
男子生徒は檜の側から離れていく。
俯いたままの檜は、まだ猫神さまを拾ってくれたお礼を言っていないことに気付いた。
「あ、・・・あの・・・。」
精一杯声を振り絞って、檜は男子生徒を呼び止めた。
それでもやはり俯いたままで、注意しないと聞き逃す位の小さな声だった。
「はい?」
しかしその男子生徒には、檜の声が伝わった。
檜の方に向き直ったのだ。
「・・・あ、ありがとう・・・。」
ちゃんとお礼を言うつもりだったが、顔を上げることが出来ないうえ、
その声はか細く、廊下で騒ぐ生徒の声にかき消されてしまいそうだった。
「どういたしましてっす。」
男子生徒は穏やかな笑顔を見せて、再び歩き出した。
他の生徒達に紛れて、男子生徒の姿が見えなくなってから、ようやく檜は顔を上げた。
「・・・・・ありがとう。」
ぽつりと檜は呟き、猫神さまをぎゅっと抱きしめた。
(どこのクラスの人だろう・・・上級生って感じじゃない・・・かも。)
またあの笑顔に会えるだろうか、とぼんやり檜は考えた。


「・・・マネージャー?・・・野球部の?」
「どうかな?檜って洗濯得意だろ?
今年こそは名門復活って周囲じゃ噂になってるし、
俺たちもなんか力になれるかもしれないしさ。」
「・・・・・・・それもいい・・・かも。」

もしかしたら、野球部であの男子生徒に会えるかも・・・。
根拠は無かったが、檜はそんな予感がしていた。


その予感は・・・・・。



END


back | template by vel