涼風とピアニスト
「っは〜、うまいっ!!夏はやっぱスイカだよな〜!!」
「そんなに慌てて食べなくとも、西瓜は逃げませんよ。」
嬉々として西瓜にかぶりつく猿野に苦笑いし、
辰羅川も自分の西瓜に口を付けた。
「ほら、種が付いてますよ。」
小さな子供のように、頬に西瓜の種を付けた猿野。
そっと手を伸ばし、種を取ってやる。
「へへ、さんきゅ。」
照れくさそうに頬を掻いて笑う猿野。
辰羅川は笑みを返し、濡れタオルを差し出した。
太陽が西に傾きつつある、夏の夕刻。
辰羅川家の縁側で、風鈴の音をBGMに、夏気分を満喫する。
「そういや、家族の人は?」
普段なら、遊びに来るたび丁寧に出迎えてくれる辰羅川の母は、
今日は姿を見せなかった。
西瓜の皮と種が残った皿を置いて、猿野が尋ねる。
「2人とも、富良野へ旅行ですよ、全く、いくら互いの休みが合ったからとはいえ、
子供を置いて夫婦で旅行なんて、いい気なものですよね。
息子は夏の大会でテリブルな時期だというのに。」
そう毒付きながらも、辰羅川は心なしか、嬉しそうだ。
そこのところを猿野がきっちり突っ込んでやると、苦笑いしながらも、
まぁそうなんですけどね、と答えた。
「両親揃っての休みは、正月でさえも1日有るか無いかでしたからね。
こういう時くらい、好きな事をさせても良いでしょう。」
ようやく西瓜を食べ終わった辰羅川が、盆に皿を戻す。
「おおっ、モミーちゃん、おっとな〜!!」
「からかわないでくださいよ。」
眼鏡のずれを直しながら、猿野をじろりと睨む。
「ま、そのおかげでっつーのも変な言い方だけどよ、・・・
こうして二人きりでいられるんだから、・・・たまにはいいんじゃねーの?」
茜色に染まりつつある空を眺めながら、ぼそぼそと猿野が呟いた。
しっかりと耳に届いたその言葉に、自然と顔が綻ぶ。
「そのとおりですね。」
空を眺めたままの猿野を見つめながら、答えた。
頬が染まって見えるのは、空のせいではないだろう。
辰羅川の父親は某有名大学の教授で、日夜研究に明け暮れているから、
滅多に家に帰らないらしい。
だから、まとまった休みなど年に1・2度有るか無いかで、
今日から三日間休みが取れたのは奇跡だと、辰羅川が話していた。
辰羅川の母親は、近所の子供にピアノを教えている。
父親がせっかく三日も休みが取れたのだからと、北海道旅行を提案されたのだが、
埼玉予選を控えている辰羅川は当然行けるはずもなく、心配する両親を余所に、
快く2人を送り出したのだ。
埼玉大会ベスト8を賭けた今日の戦いに勝利した十二支高校は、
明後日準々決勝を控えている。
本来ならば明日は1日中練習があるはずだったが、連日の疲れがあるだろうからと、
羊谷監督の計らいで午前中の練習のみとなった。
「ごちそーさん。」
忘れた頃にごちそうさまの挨拶をする猿野。
「どういたしまして。さて、手を洗ってきましょうか。」
「ん、そーだな。手がべたべたしてるしな。」
濡れタオルで拭いたとはいえ、確かに手には西瓜の果汁が残っていた。
「夕食は七時半頃にしましょうか?」
「ああ、そうだな。どんな料理が出来るか・・・うぷぷ。」
声を押し殺し、笑いをこらえようとする猿野。
2人とも、学校の調理実習以外ではまともに料理など、したことが無いのだ。
しかし、今日は2人で料理することを選んだ。
「まぁ、全力を尽くしましょう。」
肩をすくめて笑う辰羅川に、
「おー!!」
拳を振り上げ、やる気満々の声をあげる猿野だった。
スポーツバッグを放り投げ、普段着に着替えてから、2人で買い出しに出かけたのだが、
果たしてまともな料理になるかは不安であった。
しかし、たまにはこういうのも楽しくて良いだろうと、2人の意見は一致した。
洗面所へ向かう廊下を進みながら、2人は話を続ける。
「にしても、部屋が離れなんてなー、信二ん家ってホンット金持ちだよなー。」
「そうでしょうかね?」
「だってさ、俺ん家なんて、ふっつーの家だぜ?」
羨ましい、というよりも、ひたすら感嘆の気持ちが、その声には篭もっている。
「普通なんて言って、天国の家は快適で素敵な家ではないですか?
ただ、もう少し、天国は部屋の掃除をした方が良いですけどね。」
「うぐ・・・それを言われると・・・。」
痛いところを突かれたらしく、猿野が口ごもる。
離れにある辰羅川の部屋に戻り、ベッドを背もたれにして2人は他愛のない話をした。
全開にした窓からは、真夏には珍しく涼しい風が流れてきた。
もう何度か訪れて、猿野にとっては見慣れた光景だったが、
ふと部屋の隅にあったアップライトピアノに目が留まった。
「なあなあ、信二って今もピアノ弾いてんの?」
今まではカバーが掛かっていたから、あまり気にしていなかったが、
今日はカバーが外れていたので、尋ねてみた。
「そうですね。時々、息抜き程度には。
野球をやるようになってからは、すっかり腕がなまってしまいましたが。」
「ふーん、じゃあ前は本格的にやってたんだ?」
「小学校の3年位までは、ですがね。」
母親は、ピアノの道に進めたがっていたようなんですけどね、と苦笑する。
「そっかぁ・・・。もし、信二が野球やってなかったら、
こうして一緒にいることも無かったんかな・・・?」
寂しげな色をたたえた瞳で見つめられ、辰羅川は不安を解くように
そっと恋人の髪に触れた。
「さあ・・・どうでしょうね・・・?
でも、今はこうして一緒にいるのですから、良いのではないでしょうか?」
「・・・ん、そだな・・・。」
猿野は柔らかく微笑んだ。
が、ふと何かを思いついたらしく、瞳を輝かせた。
「あのさ、あのさ、ちょっとだけ、ピアノ弾いてみてくんない?」
「・・・え?」
突然の猿野の申し出に、辰羅川の動きが止まった。
「えっと・・・無理にとは言わねぇけど・・・聞いてみたくなったんだ、信二のピアノ。」
「そ、そうですか?・・・いえ・・・構いませんが・・・。」
「やったぁ!サンキュ、信二。」
子犬か子猫がじゃれるように、猿野は辰羅川の肩に擦り寄った。
「・・・あまり期待しないでくださいよ?」
すぐ側にいる猿野の頬に口付けて、辰羅川は腰を上げた。
「すっげー期待してる。」
「・・・参りましたね。」
わざとらしく肩をすくめ、辰羅川はピアノに向かった。
側にあったクッションを抱え持ち、猿野は辰羅川の背中を見つめた。
やがて、繊細で緩やかなメロディーが流れてきた。
(きれーな曲だな・・・。)
肌に心地よく当たる風と、徐々に力強く響く、ピアノの音。
(何か、すげー贅沢な時間、過ごしてるかも・・・。)
火照った顔をクッションに埋め、辰羅川のピアノに聴き入った。
「すっげー、良い曲だな。」
数分間の演奏を終えた辰羅川を迎えたのは、盛大な拍手だった。
辰羅川は再び、猿野の隣に腰を下ろした。
「所々間違えまして、お恥ずかしい限りですよ。」
「んなことないって!!ガラじゃねーけど、感動したよ。」
「ありがとうございます。」
手放しで褒められて、かえって恐れ入った感の辰羅川だった。
「あのさ、もし良かったら・・・明日も聞かせてくんねー?」
「え、まあ、構いませんけど?」
「サンキュ!!へへー、楽しみにしてるぜ!」
屈託無く笑う恋人に肩をすくめてみせる。
「ふふ・・・これでは、私は天国専属のピアニストのようですね?」
「・・・迷惑・・・?」
不安の色を宿した瞳を向けられるが。
「とんでもない。」
猿野の抱えたクッションを取り上げると、そっと唇を重ねた。
「だって、これは私だけの特権なのでしょう?」
END