混沌の鐘、響く時
私は・・・とうの昔に人間であることを捨てた・・・。
今の私は、偉大なるバルテアス様の手駒。忠実な僕。
『黒のセプター』本拠地。
どす黒い闇がぱっくりと口を開け、哀れにもリュエード世界の歴史から抹殺されたミゴール達が、
雄叫びか泣き声かわからないような奇声を上げている。
映像に映し出された、褐色の肌の少女の姿に、ベルカイルは眉を顰めた。
人間風情が、我らの計画を邪魔するというのか・・・・・?
「ふん・・・・・人間・・・か・・・。」
バルテアス神にその身を捧げるようになってから、初めてベルカイルは
<人間であった>自分の過去に思いを馳せた。
子供の頃は至って元気な少年だった。
よく怒り、良く泣き、良く笑う。
笑った顔の印象が圧倒的に強いのは、その笑顔が幸せに満ちているからだろう。
太陽の光を浴びて輝く金色の髪と、うっすらと日焼けした血色の良い肌。
他の子供達と何ら変わったところなど無く、毎日遊び、勉学に励み、母親の手伝いをして
過ごしていた。
ベルカイルの父親は、既にこの世に人ではない。
物心ついた時から、ベルカイルの側に父親はいなかった。
ベルカイルは、母親を心から愛していた。
その感情は、子供が親に対して抱く愛情より強く、深いものであった。
父親という存在を知らないベルカイルにとっては、母親だけが唯一の家族だった。
「母様、母様!」
学校から走ってきたのか、息を弾ませたベルカイルは母の姿を認めると、一目散に駆け寄った。
「お帰りなさい、ベルカイル。」
いつもと変わらぬたおやかな微笑みを浮かべ、母が我が子を迎える。
今日も夕暮れ時を告げる鐘が鳴る。
重厚な、魂を揺さぶられる響き。
オレンジ色に染まる西の空と、教会の鐘。
ベルカイルが、一日の中で特に好きな時間であった。
「・・・あ、教会の鐘だ。」
「そうね、もうこんな時間なのね。」
「綺麗な音だよねー、母様。」
「本当に・・・心が洗われるようだわ。」
「僕ね、・・・僕はね、大きくなったら教会の神父様になるんだ!」
「ふふ・・・・・そうだったわね。素敵な夢だわ。」
「みんなが幸せになれますように・・・って、毎日お祈りを捧げるんだよ。
それからね・・・。」
「それから?」
「母様がもっともっと幸せになれますようにって、お祈りするんだ。
僕が母様を幸せにできますようにって。」
「そう・・・ありがとう。あなたは優しい子ね、ベルカイル。」
そう言って髪を撫でてくれた母親は。
女神様のように美しく微笑んでくれた。
小さい頃から、何度となく交わされた言葉。
そしてそれは、そう遠くない未来に現実のものとなることを信じて疑わなかった。
異変は13歳の頃に起こり始めた。
眩いばかりに輝いていたはずのブロンドは徐々に色あせ、深く薄暗い湖のような色に変わり始めた。
時を同じくして、その顔色にも変化が見られるようになった。
まるで、髪の色に同化するように日に日に青ざめていく。
何かの病に冒されたのかと心配になったベルカイルの母が、町医者や教会の司祭にベルカイルを
診てもらいに出かけたが、誰一人としてベルカイルの異変の理由を突き止めることができなかった。
学校や近所の友達は、徐々にベルカイルを避けるようになっていった。
時にはケンカする事もあったが、毎日のように仲良く遊んだり勉強を教え合ってきたのに。
「母様、母様ぁ・・・。」
「どうしたの、ベルカイル?」
「みんなが、僕と口をきいてくれないんだ。どうしてなんだろ・・・?」
「・・・・・・・。」
「やっぱり、髪の色が変わったから・・・?肌の色が変わったから・・・なのかなぁ?
でも、僕は何にも変わっていないのに。どうして・・・みんな僕を変な目で見るんだろう・・・?」
「・・・ベルカイル・・・・・。」
彼の母は、ただ無言で、彼を抱きしめるしかなかった。
ベルカイルには、何が何だかわからない。
日に日に変わりつつある己の姿を見るのが恐ろしくなり、鏡や硝子、水面に映った自分の姿を
見ることさえできなくなっていった。
友達はみんな僕の方を向いてくれなくなったけど、母様だけは、僕のことをわかってくれる。
多感な少年期の直中にいるベルカイルにとって、唯一人彼の母親だけが心の支えであり、
愛情を抱く対象となった。
しかし、ベルカイルは気付いていなかった。
母親の瞳に、ほの暗い闇の色が宿ったことに。
友達だけではなく、大人達までベルカイルを避けるようになっていった。
それどころか、小石や卵を投げつけられ、蔑みの言葉を浴びせられるようになった。
かつての友人に避けられるようになっても学校へ通い続けたベルカイルだったが、
とうとう耐えきれずに学校を休むようになり、部屋に閉じこもってしまった。
髪の色は澱んだ薄藍色、肌は人間のそれとは到底思えない、錆浅黄。
変化が起こってから月日はそれ程経過していないが、
かつての面影は微塵も無くなってしまっている。
しかし、ベルカイルにとって何よりも辛い事は。
最愛の母親が自分と顔を合わせてくれなくなった事だった。
「母様・・・母様・・・。」
恐る恐る母親の部屋の側まで行き、そっと声をかける。
部屋の奥から、悲しみに暮れた啜り泣きが聞こえる。
「母様・・・・・?泣いているの?・・・ねえ・・・母様・・・?」
愛する者が悲しみに打ちひしがれる姿を見たくなくて、つい声を張り上げる。
部屋の中に緊張が走った。
啜り泣きの声もはたと止んでしまい、息をのむ様がドア越しのベルカイルにまで伝わってきた。
「・・・母様・・・?」
「入ってきては、いけません。・・・部屋に、戻りなさい。」
途切れ途切れの言葉は、鋭い刃のようにベルカイルの心を斬りつける。
あからさまな拒絶と、冷ややかな感情が混ざり合っている。
「・・・・・か、・・母様・・・・・。」
「戻りなさい。」
「・・・・・・・・はい・・・。」
肩を落とし、項垂れたまま引き返す。
堪えきれない悲しみに、身も心も引き裂かれそうだ・・・。
「母様・・・母様・・・・・どうして・・・?」
溢れる涙を拭おうともせず、ただうわ言のように母親を呼び続けた。
その声は、彼の愛する者に届く事は無かった。
部屋に籠もるようになって、どれくらいの時間が過ぎ去っただろう。
ベッドに寄り掛かり、膝を抱えたまま蹲って、一体何日泣き明かした事だろう。
あれから、ベルカイルは母親と顔を合わせていない。
どうして、どうしてこんな事になったんだろう・・・?
僕は、何かしたんだろうか・・・?
きっと悪い事をしたから、神様が怒って僕に罰を与えているんだ。
でも、・・僕は一体、何をしたんだろう?
神様を怒らせるような事・・・した覚えは無いのに。
母様・・・どうして、母様まで、僕を嫌うの?
みんなが僕に背を向けても、母様だけは僕に微笑んでくれたのに・・・・・。
・・・・・微笑んだ?
・・・・・母様が、僕に微笑んでくれたのって・・・いつだったっけ?
嫌だ・・・嫌だ。
母様まで、僕を嫌いにならないで。
・・・僕を一人にしないで・・・・・!
ゆらり・・・とバランスを崩しかけながらも、ベルカイルは腰を上げた。
身体が、鉛のように重たい。
扉や壁に何度もぶつかりそうになりながら、よろよろとベルカイルは歩く。
愛する母の元へと。
ノックもせずに扉を開ける。
ギィ・・・と鈍い音が、部屋を満たす。
ベッドに顔を埋めていた彼の母親が、扉の方を振り返った。
その顔には、かつて彼女が絶えることなく見せてくれた柔らかな微笑みは、無い。
深い悲しみにすっかりやつれた顔、涙で腫らした瞳には、言いようのない恐怖と、
憎しみの色が満ちあふれている。
「母さ・・・・・・!」
「来ないで!!!」
広げた両手は、斬り捨てるような拒絶の声で、触れる対象を失う。
かつては、いつまでも子供みたい・・・と笑われながらも、その両手を受け止め、
愛する我が子を抱きしめてくれた。
僕の母様だったら、こんな風に僕を拒絶しない。
・・・じゃあ・・・・・・。
目の前の、この女は何者なんだ・・・・・?
「・・・・・あなたは・・・母様じゃ、ないんだね・・・・・。
そうだったのかあ・・・だから、僕に冷たく当たるんだ・・・?」
感情を押し殺した、声。
まるで自分の声じゃないような、地の底から響くような、低い声。
「お前こそ・・・私の子供を返して!
・・・この、化け者っ!!!」
母と呼ばれていた女の手には、鈍く光るナイフが握られていた。
「・・・酷い人だ・・・。」
くつくつと笑みを浮かべるその少年は、もはやベルカイルという名の少年ではなかった。
「あなたと、この私と・・・一体、何が違うというのです?
ただ・・・髪の色や、肌の色が違うというだけで・・・・・。」
自嘲の笑いを湛えて、一歩、また一歩と、”母”と呼んだ女の前に歩み寄る。
「来ないで!!私の子供を返しなさいっ!!」
ナイフを眼前に突きつけながら、逃げ場を求めて後退る。
「あなたこそ・・・・・私の愛する母様を返しなさい。」
ニヤリと、笑った。
その瞳は、既に焦点が定まっていない。
今日も夕暮れ時を告げる鐘が鳴る。
重厚な、魂を揺さぶられる響き。
しかし、ベルカイルの心に、その音色が届く事は無かった。
いつもはオレンジ色に染まる西の空が、今日は鮮血の赤に見える。
目の前には、愛していたはずの”母”と呼ばれていた肉塊が転がっている。
返り血を浴びたベルカイルの髪と肌が、不気味な光を湛えている。
(ふ・・・ふふ・・・クク・・ッ・・・・)
突如、ベルカイルの脳に直接語りかける声があった。
(貴様は・・・この私に選ばれた者・・・。)
目の前の惨状を、声の主は理解しているのだろう。
(どうだ・・・我と共に、新たな世界を創造してはみないか?
このくだらない人間界を滅ぼし、我らの理想郷を築こうではないか・・・。)
「・・・あなた・・・は・・・?
選ばれた・・・とは、一体・・・?」
姿は無くても、確実に聞こえる声。
しかし、ベルカイルに恐怖の色は無い。
むしろ、恍惚と微笑んでいる。
(我はバルテアス・・・愚かしいカルドラ世界を終焉に導く者・・・・・。)
「・・・ということは、あなたは神様、なのですね?」
(無論・・・・・。我が手足となり、創造の書・・・カルドセプトを取り戻すため・・・働いてもらうぞ。
お前には、その資格がある。その髪と肌の色が、何よりの証拠・・・・・。)
「・・・どういう・・・ことですか・・・・・?」
(私と・・・同じなのだよ。その色が・・・・・。)
バルテアスと名乗った者が、姿を現した。
髪の色は澱んだ薄藍色、肌は人間のそれとは到底思えない、錆浅黄。
今のベルカイルと、全く同じ色だった。
「私が・・・神様に、選ばれた・・・存在・・・?」
跪き、祈りを捧げるようにベルカイルは応えた。
「バルテアス様。このベルカイルに、あなた様のお手伝いをさせてください。」
あぁ・・・母様。
私はようやく、神のためにこの身を捧げる事ができます・・・。
この世界を終焉に導き、愚かな人間どもに、思い知らせてやりましょう。
母様・・・私を捨てた、あなたにも・・・・・。
この世界がバルテアス様の支配下となれば、人間どもは、己の愚行に後悔することだろう。
もっとも・・・後悔したところで、既に手遅れであるのだがな。
例え愚かで無力な人間どもが集まって手を組んだところで、
この私を・・・バルテアス様を止めることなど不可能だ。
緩やかに頭を振り、まるで呪われた過去と決別するかのように、
ベルカイルは果てしなく続く闇を見つめている。
誰にも止めさせはしない。愚かな人間どもにも、あの力無き小娘にも。
END