夕暮れ
「・・・・・で、何回喧嘩すれば気が済むんすか・・・?」
やや呆れたような、それでいて心配そうな声に対して。
「・・・とりあえず、俺は悪くないぞ。あのバカ猿が悪い。」
不機嫌そうな言葉が返ってくるが。
「んー・・・、どっちもどっちって気もするんすけどね・・・。」
「・・・・・ぐ・・・。」
溜息混じりの子津の一言に、犬飼は返す言葉が無くなってしまう。
縮こまって、頬に絆創膏を貼ってもらっている犬飼の姿を、
彼を常に追いかけ回す女生徒達が見たら、どんな表情をするだろうか。
夕陽が差し込む教室。
犬飼は子津に傷の手当てをしてもらっていた。
保健室にはバレー部の女生徒が体調が悪くて休んでいるため、
先生に救急箱を借りてきたのだ。
土曜日の夕刻。
昨日までの雨で、グラウンドコンディションが悪く、
珍しく部活はミーティングだけで終わった。
解散間際、いつもの如く猿野と犬飼の口論から、
今回は派手な取っ組み合いに発展してしまった。
チームメイトによって何とか2人を引き剥がした時には、
互いに顔や手に無数のひっかき傷ができあがっていた。
「・・・はい、終わったっすよ。」
何度目かの溜め息とともに、救急箱の蓋を閉める。
「すまんな。」
「どういたしまして。
じゃ、救急箱、保健室に返してくるっす。」
そう言ってきびすを返す子津に、
「・・・俺も行く。」
椅子から立ち上がり、同行を申し出る。
見上げてくる子津の顔に、柔らかい笑顔が宿る。
つられるように、控えめな笑顔を返す犬飼。
他人の前ではほとんど見せることのない表情。
唯一、目の前の少年だけが知っている、彼の笑顔。
土曜の夕方だけあって、教室にも廊下にも生徒の姿はほとんど見られない。
窓から差し込む夕陽を浴びながら、2人は言葉を交わさずに歩く。
保健室まであと少し、というところで、ふと子津は足を止めた。
「・・・どうした?」
「・・・桜、もう散ってしまったっすね。」
「桜?」
窓の外を見つめる子津に倣って、犬飼もまた視線を外に向ける。
「あの桜の木、数日前は綺麗に咲いていたんすよ。
雨が降って、あっさり散ってしまって、ちょっと残念っす・・・。」
硝子に映った子津の表情は、少し曇っている。
夕陽を浴びているからか、余計寂しそうに見えるのかもしれない。
「そうか・・・。知らなかった。」
花になど特に興味が無い犬飼であったが、子津の寂しそうな姿を見るのが辛かった。
しかしこんな時に、気の利いた言葉なんて浮かんでこない。
不甲斐ない自分に、心の中で舌打ちをする。
しばらくは桜の木を眺めていた子津だったが、抱えていた救急箱のことを思い出し、
「あ・・・、早く返しに行かなくちゃ、怒られるっすね。」
再び保健室へ歩みを進めようとする子津の腕を取り、
救急箱ごと抱きしめる。
「わ、わっ・・・何するんすかっ、こんな所でっ・・・!!」
「誰もいないだろ。気にするな。」
「そ、そーいう問題じゃなくって・・・!!」
子津はもがき、何とか犬飼の腕から逃れようとするが、力の差は歴然。
じたばたするのをやめて、大人しく犬飼の腕に収まった。
「もう・・・しょうがないっすね・・・。」
苦笑いとともに、そっと犬飼の手に自分の手を重ねる。
「とりあえず、来年まで待つか。」
「・・・え?」
「・・・・・・桜。」
口調は素っ気ないが、その表情は優しい。
「・・・そうっすね。来年までのお楽しみっす。」
硝子に映るのは、幸せそうな2人の笑顔。
他の人は知らない、2人だけが知っている笑顔。
「犬飼くん、喧嘩は程々にするっすよ。」
硝子に映った犬飼の目を見ながら、唐突に子津が切り出した。
「絆創膏だらけで、痛々しいっすよ。」
重ねた手にほんの少し力を込めて、呟いた。
「・・・とりあえず、努力はする。」
抱きしめる腕に力を込め、犬飼が答える。
2人は、しばらくの間そのままで桜の木を見つめていた。
夕焼けをその身に浴びながら。
END